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2006年6月24日 (土)

私との闘い

自己中の自分自身に嫌気が差しますが、でも立ち上がりました。立ち上がらなければこれからのこども達にもあわせる顔が無いんです。私を慕い集まってくれるこども達の為にも、私の弱さを知ってもらいながら立ち上がらなければ。
今言うことをしないで黙っていたら、私はもっと無くなってしまう。私が掛けて持らった皆さんからの愛情を捨ててしまうことになちゃう。それでは申し訳ない。人間は弱い生き物であることを知っていて、今自分に出来ることをしなくては駄目だ。今の私が在るのも日本育英会があったからです。そうでなければ高校もまともに出られなかったし、大学にもいけなかった。定時制高校で働いてはいたけれど、大学までは行けなかった思う。でも今は育英会も無くなった。出来たのは教育ローンです。親にお金が無ければ、教育ローンは受けられません。是ではそのこの産まれた家の財産の格差が学力の格差になり、就職の格差、将来の収入の格差になっていってしまうじゃありませんか。格差の循環です。教育に関係する委員会の座長をしていた三浦朱門氏は「非才、無才なこどもはせめて実直な心を育てるべきだ」非才って私は知らなかった無知なので広辞苑で調べたら鈍才のことでした。ノーベル賞をとった江崎玲於奈氏は「これからの教育はDNAを参考にする必要がある」才能ってなんなんでしょう。国家と大企業の役に立つ才能のことことなんでしょうか?三浦氏はどんな家に住み、どんな食べ物を食べているのか知りません。江崎氏の場合もそうです。どんな良い環境に育ったかも知りません。革靴は履かないのか。では家の屋根は無いのか。ネクタイは締めないのか。ワイシャツは着ないのか。お米は食べないのか。野菜も食べないのか。ウンチもしないのか。手も洗わないのか。汚い掃除もしないのか。一体全体どうして生活をしているのか。動物から皮を剥す労働者がいて、その皮をなめす労働者がいて、木型を作る労働者がいて、靴底を縫う労働者がいて、危ない屋根にのる労働者がいて、布を裁断する労働者がいて、その布を縫う労働者がいて、汚い下水処理をする労働者がいて、丹精込めてお米を作る農民がいて、そんな色々な人びとの毎日同じような労働のお陰で生活してるんじゃないのか。その仕事によって、才能を別けられるんですか。逆に、そんな大切な仕事なのに、生活できない収入こそ問題なのではないか。私は音楽家だから、何も物理的生産者ではない。だが人間の生活には必要な文化なのです。私達の後輩は、現実に食べていけないのが実情です。音楽を聴くゆとりさえ奪っている今の政治の反映です。演劇人もそうです。美術家もそうです。多くの文化活動家もそうです。こんな貧困な国の現実にに、三浦氏、江崎氏、小泉氏、その他多くの自分の為の苦労しか知らない無知な政治関係者はなんと答えるのでしょう。

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