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2006年7月 6日 (木)

黒澤明監督誕生の実際

 世界の黒沢と云われた名監督の第一作は1943年の「姿三四郎」でした。
「なんだこれは。アメリカ映画みたいじゃないか。日本がアメリカと戦争しているときに」こう罵倒したのは内閣情報局の審査官たち。当時は映画法という法律があって、技能審査がありました。監督として登録される為には第一回作の技能審査を通過しなければならなっかったのです。この映画法の元締めが内閣情報局だったのです。
 映画法の第一条「本法は国民文化の進展に資する為、映画の質的向上を促し、映画事業の健全たる発達を図ることを目的とする」。何の変哲もないごく当たり前の文章です。現在の国民保護法みたいです。こんなソフトな感じで始まる法律が、先の内閣情報局の審査官の言葉になるのです。続く第二条に、隠されていた牙がむき出しになります。「映画の製作又は映画の配給の業を為さんとする者は、命令の定むる所に依り主務大臣の許可を受くべし」。つまり当局の許可が必要だと云うことです。
 黒澤さんはどうなったのか。審査に同席していた映画側メンバーの1人に当時すでに巨匠の地位をしめていた小津安二郎監督がいて、すっくと立ち上がり黒澤さんのところに歩み寄り、手を差し出して「おめでとう黒澤君、100点満点で120点だよ」と。ここに世界の黒沢の出発が始まるのです。戦争で苦しむ国民に、映画の面白さを楽しんでもらえたのです。 こんな時代だったのです。一度監督として登録されても、当局の気に入らない作品を作れば、取り消しもあったのです。それだけでなく、治安維持法で逮捕された人々もいました。亀井文夫監督です。この治安維持法と似たような法案も現在準備されています。共謀罪です。
 権力を持っている者、時の政府等は、国民に怖がられない顔をして、昔から法律を作り、段々次第次第に、国民が気付いた時はにっちもさっちもいかない状態にしてしまうのです。狼と七匹の子豚のように。

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