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2006年8月15日 (火)

戦後61年と音楽

 日本の戦後の文化、芸術。音楽もその一つです。どれでもみんな人間が創るものです。これが共通項でかこわれ、今の全ての人間を取り巻く環境が在るのだと思います。文化と云う範囲は非常に広く、人間の思想をも含みます。私は長唄の三味線を専門にしていますが、私のしている事が音楽だから、文化人だ芸術家だとは云えないのです。誰でもが普段している事が文化であり、芸術の根元だと思います。
 戦後61年を迎えました。それ以前の世界にしたいと思う地位の在る人が少し増えてきたなと思う今日です。
 戦前、戦前というか、戦争中。私達の先輩はどんな生活をしていたか。簡単に云うと、歌舞音曲は駄目な時代でした。国じゅうが戦争している時に、「三味線なんて何を考えているのだ」と云うような環境でした。私の師匠も兵隊にとられ、徴兵の対象では無かった先輩達は、戦争賛歌を創らされていました。もっとも、先輩達を批判するのは簡単ですが、まあはっきり云ってしまえば、余り深い考えなどしなかった方々なのです。今も同じよう状況ですが、政治なんて関係ない、そんな人の集まりみたいなもんですから。政治のことを考えるなら、一曲でも早く覚えろ、みたいな世界ですから。でも、私はそんな訳にはいかなかったのです。終戦後1948年生まれですが、何しろ家が貧乏だったのです。嫌でも何故貧乏なんだろうと考えてしまいます。それは、貴方の運命よ、何て考えられません。結局政治に行き着いてしまいました。社会を変えたい人に育ったのです。何故政治家に成らなかったのかと云えば、三味線が大好きだったからです。でも、平和が一番ですね。平和な時代だったからこそ、三味線も弾けたんです。アフガニスタンやイラクや、レバノンもそうですね。もっと貧困な国のこども達は本当に可愛そうです。
 いつ爆弾が破裂するか心配で、音楽どころの騒ぎじゃないです。一日生き延びるのが精一杯のこども達。私達は、もっとひろいこころを持って、戦後61年間の ありがたさを考えましょう。決して人びとから貰った平和では無いと思います。

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