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2006年9月 1日 (金)

欺瞞と無責任、安倍氏の論法1

 この手のいい加減な論法に成ると、私は強いのです。絶対に負けないのです。現在の教育基本法を、この方は蔑視しています。或いは憎んでいます。こどもの問題を、全て基本法のせいにしています。ここにまず問題のすり替えが在ることを指摘します。安倍氏いわく。「こどもたちには権利、しかし義務に対しての概念、公という概念をどうとらえるべきかかということについても全く言及がないわけであります。今起こっている問題の多くは、このことに起因していると感じるわけです」。
 では伺いましょう。現代のこどもから、「権利だ、権利だ」何て言葉聞いた事在りますか。
私はこどもの権利も理解しているつもりで、子育てにも実際係わってきましたが、一回も「権利」何て言葉聞いた事在りません。私が育つ時も、権利意識なんか在りませんでした。そんな生活的余裕も無かった。安倍氏は権利意識を持って育たれたのでしょうか。幸せな方ですね。でも嘘です。祖父の岸信介氏からも、父親の安倍晋太郎氏からも、そんな教育受けた訳ない。断言致します。
 何故か。教育基本法は、とっくの昔、1953年、池田・ロバートソン会談の時から、どんどん教育現場から排除され続けたからです。1950年代は文部省に代表される国家の政策と、現場教師の闘いの時でした。その年代から、文部省の学習指導要領は、教育現場の参考から、強制力を持った通達に成ったのです。今から50年以上前ですよ。次からつぎと毎年出される学習指導要領に、現場の先生達は途惑いながら、それに従わざる負えなかった事実を、安倍氏は、知らないはずないです。私が高校生の時、「期待される人間像」なる文書が、文部省から出されたのも、貴方は実際知っているでしょう。その内容は基本法の精神とかけ離れた内容でした。それを出したのは、貴方の父親も関与していた時代でしょ。私は定時制高校生として、反対運動を繰り広げたけれど、実際にはその内容が教育現場に持ち込まれた。その結果が今の姿でしょ。
 国連の子どもの権利委員会が何回も、何回も日本の教育実態を批判、警告しています。
「高度に競争的な教育制度によって、日本の児童が発達障害にさらされている」と。
 どちらが本当のこと云っていると思われますか。この人は、全国一斉学力テストを、また再開すると云っています。

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