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2006年9月22日 (金)

内心の自由の侵害は思う事さえ犯罪に成る

 内心の自由はの侵害は、心のうちに土足で踏み込み、思っている事、それ事態が犯罪に成ることを意味します。
 国旗、国歌だけではないのです。今まだその事にだけ言及されていますが、将来的にはそうなるのです。
 「あんたは愛国心が足りない」。
 [あんたは共産主義者だ」。

 幾らでも心のうちに政府が関与出来るのです。
 何故解かるか。ここまでという歯止めが無いからです。
 彼等は隠しているのです。国民に国旗・国歌だけのような顔をしているのです。

 色々なところで本質が解かるのです。
 作ろうとしている共謀罪もその流れです。犯罪を起こす前から、ちょっと話しが出ただけで犯罪を構成するのです。
 国際犯罪か重大犯罪に限られていた法律を、全ての犯罪容疑に適用するのです。
 私が例えば、今の政治をおかしいと思うと、まず内心の自由が無いのですから
 [あんたの考えは国策の邪魔だ。」といわれます。

 結局思想の統制に成るのです。自公政権は、始めは国旗、国歌の問題だけのように振舞います。
 で、後からこの法律を拡大解釈していくのです。常套手段です。

 ですから内心の自由は、憲法でも保障する大切な事なのです。私達は是を絶対許さない。

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