« 核不拡散政策の根本的見直しを | トップページ | 誰かに糾弾されるから反省する必要が在るのではない »

2006年10月10日 (火)

自分達は棚の上

 私は世界平和を求め、核兵器と戦争の犠牲者を世界から無くしたいと思います。
 
 北朝鮮の核実験に、本当の意味で抗議するなら、「重大な脅威」を、自分たちも撒き散らしてはいけない。
  
 更には利用してもいけない。

 アジアの国々が、日本に対する警戒感を持ち続けているのは何故か、安倍首相も本当は知っいます。
 アジア侵略の事実を、ことごとく否定する言葉を、戦後一貫してきたといっても良いくらい政府が、自民党の幹部 が、態度で示して来たからです。

 アジア侵略の反省らしい言葉を云ったのは、村山政権の時です。
 その後は、その言葉を継承するという言葉だけです。
  
 態度で表さないのです。
 きちんとした事を、アジアの国々に説明していないからです。
 それは日本国民に対してもそうです。

 靖国神社には、正確に言うと、天皇の為に亡くなった人だけを祭っているのですが、それを、我々にも明らかにし ていません。何か祖国の為に亡くなった人みんな、お祭りしているような話しをします。
 
 戦争中、天皇のせいで亡くなっていった多くの庶民は誰も祭られていません。
 焼夷弾の雨の中、原爆の非道な状況の中、もがき苦しんで亡くなった人々は一体何なのでしょう。
 
 日本の政治家が、この本当の事実を説明して、アジアの人々の納得の上での参拝ならまた考えようも在りま  す。そうでなければ、今の日本の在りようは、「重大な脅威」でしょう。

 歴史はそれぞれの国の見方で変わる等と云っていては、アジアの国々から見れば脅威いがいの何者でもない い。自分達だけ棚の上に乗せていてはおかしい。
 

|

« 核不拡散政策の根本的見直しを | トップページ | 誰かに糾弾されるから反省する必要が在るのではない »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 核不拡散政策の根本的見直しを | トップページ | 誰かに糾弾されるから反省する必要が在るのではない »