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2006年11月 2日 (木)

日本の近代史の真実を問う 2

 当時の中国は、半植民地という状態で、多くの国が権益を持っていますが、中国を独占的に支配する国は無い状態でした。そこえ日本が全面的支配下に置こうとしたのです。
 ここまで述べたことは歴史上の事実であって、何の影響も受けていません。勿論GHQの影響も。
皆さんどうですか。これは、日本の侵略では在りませんか。
もし今、日本にこんな要求が突きつけらたら、黙っていますか。
 私は許さない。
 当時中国は、民主主義と国の独立を目指す大きな国民運動の真っ最中でした。中国の植民地化を狙う日本は、中国国民の最大の敵になったのです。
 21か条の要求は、日本の望んだだけの結果を得られませんでした。そこで、出てくるのが今度は武力によって中国を征服する計画でした。日本政府の公式の方針として明示されたのが1927年・昭和2年七月、田中義一首相の下で、陸海軍の首脳を集めて11日間にわたって開かれた「東方会議」でした。
 田中首相は最終日「対支政策綱領」(支は中国のこと)の中で満州と蒙古は中国本土と区別し、日本の権益の在る特別地域と位置づけ、ここを支配下に置く。更に中国の動乱の成り行きによって、日本軍の武力出動も在りうると、明記しました。
 このときから満州蒙古、西はゴビ砂漠から、東は黒竜江に至る広大な地域が日本の生命線に成ったのです。
 
 ここで満州事変に触れます。この事変はこれを計画し実行したのが日本政府でなく、関東軍だったことです。
1931年・昭和6年9月、戦争を始めた時も、「満州国」偽独立国を作った32年・昭和7年も関東軍でした。
ですから関東軍が何を計画していたかが大事なのです。
戦争が始まる三ヶ月前、31年五月29日、重大な会議が開かれます。
高級参謀、板垣征四郎(後のA級戦犯)が「満蒙について」と題する講演をし、「私どもは勿論終局の目的はこれを領土とすることにあり」と発言。ここを手に入れたら中国の死命を把握して、その豊富な資源を手に入れることが出来るし、ソ連の沿海州のごときも自然に我が勢力圏に入ってくるだろうと語ります。
 早くも満蒙を超えて、中国全土やシベリアの制圧まで目が向かいます。

ここまで云った板垣は、満蒙進出を強行すれば、アメリカその他の武力的干渉を予想しなければならないが、今進めている戦争準備が完了すれば、アメリカあえて恐るるに足りません。たとえ一国ないしは数国の武力的干渉を受けるも断固としてこれを遂行するの覚悟と準備を持たなければなりませんと、対米戦争必勝論まで云いました。

 最後に語ったことは重要です。「満蒙は日本のものということを堂々と世界に訴えて一挙に断行するところだが、
今はそんなことは許されない、だから、何かの事件と機会をとらえ(あるいは「自主的」に作り出して)そのときには関東軍の大部分の兵力を投入し、疾風のごとき神速なる行動で目標を達成するつもりでなければ成らない」。

これが記録に残っているのです。

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