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2006年11月 7日 (火)

日本の近代史の真実を問う 5

 中国に大規模派兵した日本は、中国を一撃で下せると考えていました。
6年前は日本軍が武力を使ったら中国軍の抵抗を一撃で打ち破り、満州全土を占領できたからです。

 ところが中国の内側の変化を何も掴んでない無責任な政府の考えでした。6年前は中国の蒋介石国民党政府が、共産党軍討伐作戦に全力を注いでいた時でした。蒋介石は「外敵にあたるためには、国内の統一、共産軍の撃滅が先」、と云っていましたが、この時期は国民党と共産党の共同した抗日戦線が出来ていたのです。
 長い日中戦争になった理由です。

 では、この戦争の大義を日本政府は何と語ったか。
当時何も語れなかったのです。勿論、領土拡張は本音で在っても、まさかそれを世界に語ることは出来ません。
これが公式に表明されるのは、太平洋戦争を始める時の天皇の「宣戦の勅書」に少し触れられています。

 「中華民国政府さきに帝国の真意を解せず、みだりに事を構えて東亜の平和をかく乱し、ついに帝国をして武器を執るに至らしめた」。

 戦争を始めて四年も経っても、この程度のことしか云えないのです。
ところが日本政府は中国政府には、」この要求をのめという「和平条件」の形で戦争の目的を通告していました。
日中戦争を始めた37年(昭和12年)の11月にドイツの中国駐在大使から、和平の仲介をしたいと要望がありました。当時ドイツは、日本と防共協定を結んでいましたが、蒋介石政府とは以前から深い関係が在り、軍事援助等もしていました。日本政府はその申し入れを受けて12月21日閣議で「講和交渉条件」(4項目の基本と9項目の細目及び2項目の付帯条件)を決定します。中国側はこの仲介の話が在ったときから「中国の領土主権の完璧」が大前提といっていました。全然この基準にてらせば問題に成らない日本側の条件でしたが、調度この時期に、あの南京大虐殺事件が起きて、この話し合い事態が立ち消えました。それ程当時の中国ではショッキングな大事件で在ったことが、この仲介立ち消えからもわかります。

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