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2006年11月 8日 (水)

日本の近代史の真実を問う 6

 1938年(昭和13年)。日中戦争を開始した翌年1月11日、天皇の出席の下、日本国家の最高会議、御前会議が開かれます。ここで始めて戦争の目的を私達は知ることが出来ます。

 文書の名前は「支那事変処理根本方針」。
第一。中国は満州国を承認する。
第二。華北と内モンゴルに、中国軍入るべからず、日本軍出入り自由な非武装地帯を設ける。
第三。華北には「日満支三国の共存共栄」にふさわしい機構を設け要するに中央政府の権限を奪い日本の支配下におく。
第四。内モンゴルに「防共自治政府」を設け日本の支配下におく。
第五。華中の占領地域に「非武装地帯」を設け、上海は治安も経済発展も日中きょうどうで当たる。
第六。中国の政府は排日と満州国否定の政策を捨てて防共政策を確立し、日満両国と協力する。
第七。「日満支三国」は資源の開発、関税、交易、航空、交通、通信等の分野で、協定を締結する。
第八。中国は日本にたいし所要の賠償を行う。

 この要求はすさまじいものです。
何処に日本の正当性が在りますか。侵略と干渉の宣言です。
満州事変から大きく変わった、日本帝国主義の中国全体への許せない領土拡張政策の宣言です。

 1640年(昭和15年)11月には、中国国民党政府を裏切った汪兆銘と云う人が、南京で日本の言いなりの政権を南京で立ち上げます。今掲げた条件を更に酷くした「日華基本条約」を結びますが、歴史的には認められていません。

 ですが中国侵略戦争は泥沼に入り込みます。

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