« 日本の近代史の真実を問う 6 | トップページ | 日本の近代史の真実を問う 8 »

2006年11月 9日 (木)

日本の近代史の真実を問う 7

 泥沼に入った中国侵略戦争なのに、更に南方戦線の拡大を狙います。
ヨーロッパにおけるドイツの勝利が、南進論を膨らませるのです。40年(昭和15年)5月。ドイツは二ヶ月足らずで、オランダ、ベルギー、フランスを攻略します。日本の政府と軍部はドイツと一緒に戦えば前途が開けると考え、40年(昭和15年)7月4日に重大会議の記録が在ります。
陸軍と海軍の中枢をなす人達が集まり、全東南アジアを制圧する南方作戦が計画されたのです。(世界情勢の推移に伴う時局処理要綱陸海軍協議)
 その内容はアメリカ領だったフィリピンが含まれていないだけで、41年(昭和16年)12月に始まる実際の戦争と全く同じ構想でした。
 1。戦争準備は8月末を目途としてこれを促進する。
 2。フランス領インドシナ(現在のベトナム、ラオス、カンボジア)
 3。香港の攻略開始は対英戦争を決意した後実行する。
 4。オランダ領東インド(現在のインドネシア)はしばらくは外交的措置により重要資源の確保につとめる。
 5。戦争の基本方針「対南方武力行使」に関しては、内外の情勢全体を考えてその時期・範囲・方法を決める。
出来るだけ武力はイギリスだけにしぼって、香港マレー半島を攻略する。
対米戦争はできるだけこれを避ける努力をするがついに武力を行使する場合があることを予期し、遺憾なく準備をすすめる。オランダ領インドには、外交施策をつくすが、状況によっては武力を行使して重要資源獲得の目的を達することもある。
 但し、この作戦にはドイツの了解が不可欠でした。ヨーロッパで勝ったドイツが、東南アジアもドイツのもの、等と云い出したら困るからです。そこで世界再分割を提案し、世界を日本とドイツとイタリアで、世界に存在する植民地を旧来の領有国から取り上げ、三国の間で分配する戦争と位置づけ、日本の取り分はこれだけだと範囲を決める驚くべき決定でした。これが日独伊三国軍事同盟の基本的内容になったのです。

 40年(昭和15年)7月22日第二次近衛内閣ができ、先の決定を新内閣の基本方針とする会議が行われます。(荻窪会談)

|

« 日本の近代史の真実を問う 6 | トップページ | 日本の近代史の真実を問う 8 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 日本の近代史の真実を問う 6 | トップページ | 日本の近代史の真実を問う 8 »