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2007年1月30日 (火)

この無責任時代の責任の取り方は責任放棄だ

 自分の選んだ誰かが問題発言を仕様が、「仕事を最後までまっとうしてほしい」。これが今の責任の在り方なのか、私は言いたい。それは太平洋戦争中の岸商工大臣の責任の取り方と一致する。安倍氏の祖父。
 もし私達庶民が、何か問題を起こしたら、仕事をまっとうすることによって責任を取るなんて在りえるだろうか。
何を発言しようが、何を行動しようが、それが世間の非難の的になっても、それが自分自身の事であろうが、最後まで仕事をまっとうできるのは、普通じゃいないのだ。特別な人間にしか在り得ないことなのだが、最近は、この言葉で、私に言わせれば責任を取らない政治家が多すぎる。
 少し岸商工大臣のことを話そう。東条内閣の閣僚で、軍需物資獲得の役目だった岸は、アメリカと戦闘する為に国民から多くの物を略奪した。お年寄りが愛する犬や猫まで。息子や娘は、教育の力で軍人少年になっていた。アメリカの歌を唄えば利敵行為とまで言われたあの時代。1945年と1946年のあいだ、調度半端な日数かもしれないが、鬼畜米英と云って国民を戦争に走らせた岸らは、いつの間にかアメリカの手先に成った。私に言わせれば、何の反省もなくアメリカ云いなりの友人になった。国民には何の説明も無かった。1960年。アメリカとの不平等な、従属的日米安全保障条約の改定に踏み切った。そのときの祖父のことを、デモ隊に殺されてもよいと思う勇気のある素晴らしい人だと思ったと、安倍首相は云っていますが、その十五年前までの岸の鬼畜米英の国民に対する押し付けと、収奪と、弾圧は許されるのか。岸はどこで反省したのか。誰も国民は知らない。反省したか、しなかったかさえ知らない。その岸が戦後首相になったのだが、ハッキリ云えば、戦前の、東条内閣の閣僚だったことも国民に知られないようにして、騙して成った人だ。その孫に、責任の取り方を考えろと言っても、埒の明かないことです。無責任は明らかです。

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