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2007年2月26日 (月)

自分の頭で考える 2

 私の習った歴史は確かに年表を叩き込むような歴史でした。納豆の売れぬ日はなし平城京、710年だから納豆なのですが、これが11年でもどうでも良いじゃないのか。わたしは思います。試験は711年では×です。だから歴史は何の為に学ぶのかが大事に成ってくるのです。正確な年数を覚えていなくても、日本史ならば例えば、私達は時の権力者の歴史を教えられてきたのです。大体記録が残っているのは権力者の歴史が多いでしょう。だから、大和朝廷の出来上がる以前は、庶民の歴史を習っていたと思うのです。貫筒衣(かんとうい)といって、簡単に言えばシーツを横に折って、頭の出る部分に穴を開け、腕の出せる範囲を除いて体の線に合わせて立てに縫う。
 これから先は、大化の改新(615年)をはじめ、私の興味の無い偉い人の歴史を学ぶのです。歴史は偉い人によって創られる、それだけが意識の底に造られるのです。平家も源氏も、貧乏してる私らに関係ない。徳川幕府が300年続いたから何なの。明治維新で徳川さんから天皇に権力者が変わったから何なの。庶民はどう生活が変わったかの歴史はご存知ないでしょう、きっと。ここで私は考える。私達が教わってきた歴史は、二十構造の歴史の上部の歴史を教わったのだ。それは歴史の上部だけで、下層の我々の歴史は教わってこなかった。
 これ自分で考えたのです。自分で考えると、正しくなくても楽しいし、批判に対しても謙虚に考えられるのです。

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