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2007年3月 1日 (木)

卒業式の季節、儀式にして何の意味が在るのか。在る人には在るのです

 共に学び、過ごした何年間を、お互いの心に残す卒業式。それが私達の経験してきた卒業式でした。
東京都教育委員会、教育長横山氏の発言。「国歌斉唱にあたって、司会者が・・・内心の自由について説明することは、きわめて不適切」。2003年7月都議会での発言です。国旗・国歌法の国会論戦の時は、強制はしないと云った事も、法律が出来てしまえばハイそれまでよ。法律に書いて無いのだから。東京都教育委員会部長の講話。「卒業式や入学式について、まず形から入り、形に心を入れればよい」「形式的であっても、教員や生徒が君が代斉唱時に立てば一歩前進である」。2003年11月都立高校校長連絡会での発言。
 何を云っているのでしょう。気持ちが無くても形式だけ従えという事ですね。自由な心は置いといて、まず形式に従ったら、それから心も考えよう。そんな意味ですよね。そして形式は、あなた達では無く、国家が決めるから、あなた達は関与出来ない。まあ、昔から長いものには巻かれろと云う言葉も在るのだから、ね、良い子だからそうしよう。君たちが歌わないと、君たちの先生が処罰されるんだよ。解かったね。
 どこが教育的なのか。それぞれの心を大切にする事こそ、教育の目的の大事な側面ではないのか。これは脅しです。
 こんな時代の到来を、私たちは許してはいけないと思います。
これからは、少年犯罪はもっと増えるでしょう。嫌な記事が新聞、テレビを賑わすでしょう。こども達が大事に全然されない世の中に成るのですから。可愛そうなのは犯罪を犯したこどもと、被害を受けたこどもです。

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