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2007年3月16日 (金)

新聞の見方、テレビの見方

 現在は新聞、テレビなどの見方を変えないと真実が見えてこないのです。大きく取り上げられる記事には、私はハッキリ言って、世の中の大事なことは余り出ません。新聞なら下のほうの小さな小さな記事に、大きな大切なことが書かれていることが多いですね。メディアの良心が、そんな小さな記事に在ること。
 一面トップには期待していません。それは事故とかは別ですが。国会で審議されている法案の中身の問題提起なんか全然在りません。国民に対して、問題提起するということは、メディアの大きな仕事の一つだったはずなのが、今はその心さえ無くしています。特に日本のメディアはそうです。政府の発表を垂れ流す。そこには、垂れ流しですから批判も、問題提起も在りません。
 一つの例を出しましょう。今国会で問題になっている国民投票法案。何が問題に成っているかご存知ですか。メディアはそこを指摘していますか。国民の二割の賛成でも憲法が変えられる法案だと説明していますか。公務員は意見表明も出来ない法案であることを伝えて、説明していますか。教育者も全然発言できない、従って憲法学者達も、この大事な時に沈黙を強いられる法案であることの不思議さを指摘していますか。お金の在る財界などによる改定コマーシャルは無制限に出来る法案であることの、問題点、金の在るなしで一日中でも、憲法改定賛成意見を流し続けることが出来る不平等性を指摘していますか。問題点はまだまだ在るのですが、そこを国民に知らせなければ、存在価値が無いと私は思います。それも不思議なことに、この法案が国会で成立したりすると、途端に問題点を指摘する学者や、評論家が登場して批判するのです。でも大体一日だけですけれど。私たちは公正な報道をしています、アリバイ作りみたいなもんですね。でも、このような動きが、全メディアに共通することは、怖いことです。自主規制というのですかね。

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