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2007年5月18日 (金)

靖国派の「論理」矛盾は明らか

 まず彼等の云っている事の、相関関係としての矛盾。小難しい事無しでです。
安倍氏が首相になる前にさかんと云っていた「あの戦争の評価は、後世の歴史家がすることだ」。それに対して自ら「戦後自虐史観を教え込まされてきた」。
 これは戦争の評価を自らしています。云っている事が矛盾しています。
「当時の国民の意識なり、状況に立ってみなければ、本当の評価は出来ない。みんなそんな雰囲気だった」。これはよく聴く言葉だけでなく、実際に最近の石原慎太郎氏の映画でも描かれています。ちょっとそんな気にもさせられる言葉です。これは「みんなそんな雰囲気だった」に現れているのですが、みんなそんな雰囲気だったから、一生懸命だったから、次の言葉を語らないであの戦争は仕方なかったと思わせるのです。当時、戦争に反対した学者や国民はいなかったのか?彼等は当時どうされたのか?治安維持法は何故在ったのか?違反者最高刑死刑になったのは何時だったか?これも当時の状況なのです。雰囲気で何が免罪されるのでしょう。
 今まさにあの時代への逆行を企む靖国派の人々は、そんな雰囲気を作ろうとしているのです。雰囲気は、時の政府の思いと、教育でどうにでも成ります。それが正しいかとは、全然違う次元の問題なのです。全然違う次元のことで、正当化は出来ないのです。「私は本心から家族を愛していた。だから殺した」。こんな理屈は通りません。

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