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2007年7月31日 (火)

人間が人間の尊厳を持って最後まで生きたい

 北九州市の生活保護の実態は、どうなっているのか。
餓死者を出した北九州市。それから生活保護の実態は変わったのだろうか。本来生活保護は、国家が「して上げる」制度ではないのです。国民固有の、憲法に定められた権利なのです。いくら元気だった人でも、あるとき生活が出来なくなるほどの事態に出くわす可能性は在ります。私は思うのです。じゃあ、まず家を売れ。財産価値の在る物は売れ。それでも保護を申請するならば、申請書をやらないでもない。こういう制度ではないはずです。この例を取り上げれば、保護を受ける為に全財産をまず処分しなければ駄目ですよね。それでは、絶対元の生活には戻れないのです。一旦保護を受けたら抜け出せない場合が出来てしまいますよね。これは、国家の予算の間違った使い方だと思います。私はこの問題をかんがえるうちに、考えが変わったのです。以前は、保護所帯は保護所帯、と言う思いが在ったのですが、ここから本当に抜け出せる方々を作るのが、保護の役割ではないかと。それは、本当に働けないし、働き口も無い人に、辞退を強制することではなく、ケースワーカーの人が脅かしてでも辞退届けを出させる現在の在り方と違って、国民が必要として、要求するならば、受け入れる大きな心と、人間は働かないで喰えればそれに越した事は無いという性悪説に根ざした、今の多くの政治家と国民を一緒に考えてはいけないと思うのです。一時保護すれば、元の状態に戻り、税金もキチンと払えるようになるかもしれません。家も車も、金目の財産も全部処分しなければ保護の対象としない現在の在り方は間違っていませんか。
 北九州市では、現在も生活保護j辞退届けが増えています。

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