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2007年11月28日 (水)

何故貧乏かを、考え続けてきた人生の結論。

 私は物心付いてから、そうですね、小学校三年の頃から何故家は貧乏なのだろうとずっと考えてきました。父親は満州事変に召集されて、甲種合格(徴兵検査で最高点)で徴兵されされました。満州に送り込まれ、八路軍との戦いで傷つき、傷痍軍人として帰国しました。戦友はみな、南方戦線に連れて行かれ死んだそうです。もし、父が戦死していたら私は生まれてこなかった。母の一番下の弟は、太平洋戦争に召集され戦死しました。としおじちゃんと言う名前だったことだけは母からの記憶です。こうしてみんな戦争に参加し、傷つき傷つけ、死んでいくのが戦争だと私は思っていました。それは母からの言葉で感じていたのです。やさしい弟だったそうです。仏壇に飾られた、軍服姿の叔父の姿が私の記憶にあります。そのきおくがある頃からですね。
 何故か私の家は貧乏なんだと認識したのです。真面目に働こうとしている父が身体を壊し、きちんとした収入が得られなく成っていたのです。母親も家政婦をして働きだします。家事は私がするようになります。小学校から帰ると、母の昨日の賃金370円をちゃぶ台の上から持って買出しに行くのです。米一升・麦一キロをまず買って、残りでおかずを考えるのです。そんな生活が10歳ぐらいからです。男ばかりの兄弟四人が食べるには、これくらいの主食が必要なのです。私は一番下だったので、帰りも早く、私の仕事になったのです。魚のめざしは定番でしたが、よく見ると、めざしじゃないことにも気が付きました。あれは頬刺しなのです。学校の帰りに、友達が遊んでいたり、お米を買った後に友達と会うと、なんとなく気恥ずかしく寂しかった覚えがあります。でも、親を恨めなかった。それでいて、これで良いとも思えなかった。何かがおかしい、変だとは感じていました。一生懸命働いている父、母の姿は、何故こどもが苦労しなければいけないのかという、疑問の根本になったのです。運命なんか思いもしません。そんな言葉で言われたくもないのです。でも、何故かだけは頭から離れませんでした。
 定時制高校に入ってから、宗教団体の人から、信じれば救われると誘われました。これも受け入れられませんでした。信じるものが余りにも現実的ではなかったのでしょう。信じれば救われるのは、心だけなのではないのか、と感じました。心と現実の生活には差が在るのです。心は思いです。生活は現実です。私は現実を考えて、苦しんでいたのです。よく、病は気からといいますが、これも私には実感を伴った話とは思えなかった。父は、精一杯働こうとしていたし、気が負けて病気になったとは思えなかった。
 そして、私は日本共産党員になった。社会の仕組みが悪いから、あの戦争時代を兵隊になって命を懸けた個人が、一人一人大事にされないから。その後の人生は、共産党員として、社会の仕組みを変えることに全てをかけています。
 今の世の中、ものすごい格差社会で、こどもの可能性もつぶす時代です。私は無宗教ですが宗教を否定はしません。宗教が心の平安だけを問題にしようとするならば、心の持ち方によって幸せにも、不幸にも成るというならば、私は許せません。何故かと言えば、不幸にしている人々を許すことに成るからです。

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