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2007年12月22日 (土)

清沢洌(きよし)の1945年元日の日記。

 「日本国民は、今、始めて『戦争』を経験している」。
ジャーナリスト清沢の1945年元日の日記の一部です。明治天皇制政府が出来てから、昭和の時代まで十年に一度の割合で戦争に明け暮れてきたのですが、(詳しいことは私のブログ『日本の近代史の真実問う』の1・2・3をご覧下さい)、特に1931年の満州事変からの十五年間だけを見ても、日本本土の被害は終戦の年45年に集中していたのです。それまで、日本は攻められたことが無いのです。戦後日本人が戦争体験と言うとき、アメリカ軍の空襲であり焼夷弾の嵐であり、原爆であり、引き上げ時の被害体験でありました。それらは、先ほど述べたように終戦の年からのことが多くの国民の現実的戦争体験になったのです。他国の領土で戦争を実践していた時期はもっともっと長いのですが、国民的意識で考えれば、戦争の怖さはこの一年に満たない被害体験による意識でしかないのです。
 「慰安婦」問題にしても、現実に今世界中から謝罪と保障を求める決議がなされています。過去の問題としてではなく、今まさに日本の歴史認識、戦争責任が国際的信用問題として世界から問われているのです。「慰安婦」決議をした国はアメリカ、カナダ、オランダ、ヨーロッパ議会です。これからも増えるでしょう。
 日本の起こした戦争は侵略戦争では無かったという人たちが、今日本に一定数います。これは現実です。でもこの現実から出発してみた時、この現実を作り出したのが何であったか、そして誰であったかが問われます。最初に書きましたが、明治以来の十年間隔の戦争と、太平洋戦争とを区別する根拠は何もありません。同じ延長線上で考えられる戦争だったのです。この間に、一貫して統治権を持ち、軍隊に対する統帥権をもっていたのは天皇です。明治天皇に始まり、昭和天皇まで。この、昭和天皇の責任を免責したことが、まずことの始まりです。明治時代からと、限定して私はいいますが、何故なら天皇が国民の前に直接現れたのが、この時代だからです。明治憲法、教育勅語や、軍人勅諭を直接受け取った国民は、天皇に対して意見なぞ言えぬ天皇の家来だったのです。一部の人たちが主張する天皇を中心に日本は纏まってきたという生活がもし在ったならば、それも明治以降のことです。従って、日本の起こした戦争に一番責任が在るのが天皇なのですが、それが免責されたことによって、日本人の元々少ない戦争体験と合致して、国民的な反省が出来なかったこと。それを許したのがアメリカの日本占領政策への転換だったのです。
 私達は、日本本土では、長いこと繰り広げられなかった戦争を、もう一度考える必要があると思います。
祖国を守る戦争だったのか。十年に一度の戦争の連続が、自衛の為の戦争だったのか。 

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