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2007年12月19日 (水)

銃社会を考える。

 銃がこんなに一般的に存在することに驚きと、怒りを覚える。佐世保市で起きたスポーツジム乱射事件は、私の想像を超えて、銃社会に日本がなったという実感を感じさせた。やくざと警察官が持っているぐらいに考えていた私は、今回の事件はショックだった。考えて見れば、思い出した。昔、田宮二郎という俳優が自殺したのも自己保有の銃だったと。
 そこで今回判ったことは、申請すると、たいていの人が銃を持てるという現実。
 もう一つ。事件の起こる前から、警察に、何故彼が銃を持ち歩いているのかと言う不安と、質問があったのにもかかわらず、警察が何もしなかった事実と、何もしなかったのに「警察の対応に問題はない」と云う根本的意識。
なにも問題が無くて殺人事件が起きたのか。これは問題なはず。どこかに、問題が在ったはず。
 埼玉県で起きた女性ストーカー殺人の時も、警察の対応に問題は無かったと云うコメントを聞いたことがある。
 事件が起きても、警察の対応が、いつも問題無いのだとしたら、変だ。問題の定義が問題なのではないだろうか。ことは、人が殺されているのだ。銃を、もっと厳しく取り扱うべきではないのか。狩猟も人間の趣味なのかもしれないが、動物を殺すだけを、趣味としてよいのかも問題だと考える。釣りとは根本的に違うものがある様な気がする。釣りは、小さい魚は海に返すと聞いたし、食べられないほどたくさんは釣らないとも聴いた。
 人間が趣味を拡げるのは良いことだ。だが、その手段となる用具が、人を殺せるものなら、もっと、厳しい管理が求められるし、警察も「問題ない」だけ云っているのではなく、国民的議論が求められていると思う。
 そうでなければ、怖くてしょうがない世の中になってしまう危険性があると思う。

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