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2007年12月22日 (土)

私はこだわる。自存と自衛を並べた瞬間、合い対立する言葉になる。

 自存・自衛の戦争だったと云う馬鹿げた屁理屈を、私は認めない。アメリカのマッカーサー将軍も認めたという「自存自衛の戦争」だった論。自存とは、自分の存在を守ることです。自衛は自分を守ることです。この二つの言葉が並んだ時、矛盾する言葉になるのです。自存の為に、他国の領土の資源を力で奪う。他国の自存を奪うことです。他国は自衛します。ほら、誰の為の自存か自衛か判らなくなったでしょう。自衛は暴力で資源を奪う横暴者と闘う国の言葉に成ります。自存は、自国に無い資源を奪うこと。これは、国民の中心になって日本の文化を育ててきたという天皇が出席する国の最高会議の議事録を見れば(国会図書館にでも行って調べれば明らかです)、この構図は明らかに成ります。これを御前会議というのですが、その議事録には、アジアの人々が、列強国の被害に在っているから助けようなどといった記録は何もなく、インドネシアには、ビルマには、中国には、タイには、何処の国にはこんな資源が在ると言うこんな記録しか残っていないのです。注目点は、資源だけなのです。これが、アジア「開放」?の目的。大東亜共栄圏も、その首領となるのは日本だったんです。その日本は現実には資源しか考えていなかったのですから、共栄圏も日本が親玉になって、アジアの資源を思うように奪うことが目的だったのです。
 今や、右翼もアメリカのマッカーサーの言葉を利用するようになりました。自分さえ良ければ、他国はどうでもいいはもう通用しないでしょう。私は、マッカーサーの言葉にはぜんぜん頼りません!自分で調べ納得いくまで追求します。

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