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2008年1月 2日 (水)

日本の戦争を記事にしながら思う歴史学の在りかた。

 私は今の仕事を始める前は、考古学に関心を持っていました。およそ歴史を学ぶということは、過去の出来事を知って、「へーそうか」「そんなことが在ったのか」では学問として意味が無いと思っています。まず、事実を知ることは基本中の基本ですが、知っただけでは、何の役にも立ちません。知った事実から、将来の人間の生き方を汲み取っていかなければなりません。私はこの戦争の記事を、資料の出所も明らかにして書きながら、この事実を余りにも私はうろ覚えでしか知っていなかったことに改めて気付きました。皆さん方も、それほど詳しくはご存知ないのではないでしょうか。ここまでの、まだ半分にもいっていない記事に対しても、そのときの政府の考え方、イデオロギー、報道のこと、国民の意識がどうであったか、国家の経済状況などを全般的に研究して戦争を語らねば、独善的になる、というご意見も聴きます。
 私は知り得た事実、戦争がどのようにして始まり、展開していったのかを書いているだけです。事実を正視出来るのなら、ここに独善は無関係です。独善とは、皆様もご存知のように、独りよがり的な意味です。独りよがりが入る余地の無い事実の列挙。まずは、それを知ることから始まります。
 ある政治家が、少し前に発言していたことですが「その時は、国民全体も、そんな雰囲気だったのですよ」。
だからどうしたと私は考えるのです。国民全体を、そんな戦争の道に心から参加させたのは、一体何が在ったからか。これは大日本帝国憲法がまず大きな力を発揮しました。憲法の冒頭、第一条で「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」。すなわち主権者は天皇です。三条には「神聖にして侵すべからず」と続きます。国会もありましたが、その役割は、天皇を助けて法律をつくって天皇に差し上げることでした。之を法律にするかしないかの決定権は天皇が持っていました。(第五条、第六条)天皇はオールマイティーだったのです。たくさんの勅語や勅諭を出して国民に押し付けていたのです。その状況で国民が自らの意見を言う様な権利も無いし、条件も無かったのです。天皇の意思に反対する者は弾圧され、逮捕され、拷問に遭ったのです。このような社会であったことを抜きにして、「国民もそんな雰囲気だった」こそ、独善と言うのです。警察に捕まるのを実際にみた善人である国民は、、恐怖と何か悪いことをしたのだろうと感じたでしょう。日本人に深く根付いた「お上意識」と「お上にたてつくことは悪いことだ」という意識。
 経済状態考慮論も私が考えれば、「強盗の論理」そのものです。欧米列強の帝国主義国との日本の帝国主義比較論も、この「強盗の論理」です。どんな論理か説明いたしましょう。
 自分の国に資源が無い。では他国を脅かして取り上げよう。
 強盗はそこいらじゅにいる。だから俺も強盗に成って、何が悪いのだ。私に言わせれば、なんと言おうと強盗は悪いのです。
 これらも事実から明らかにしていくのが、学問の務めです。ですから教育に国家が関与してはいけないのです。八木氏、この方は「教育とは時の政府に都合のよい人間を作るのだ」というような意見を仰っていますが、それが明治時代の教育そのものなのです。
 私は日本の戦争の事実経過を知って頂くだけで、多くの皆さんは日本の戦争の本質を掴んで下さると思っています。

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