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2008年6月 8日 (日)

もう一度。低金利。規制緩和。医療改革。私が安保条約廃棄にこだわる理由。そして、廃棄の先にこそ日本とアメリカの対等・平等な関係が築けます。

 政府与党のみならず、民主党も、社民党も国民新党も、日米同盟の重要性を語り、これ無しには日本の歩む道は無いかのようなことを国民に思わせています。ですから漠然と、何となく日米同盟は大事だと思われている方結構多くありませんか。
 自公政府、民主党、国民新党に至っては憲法より大事に思う人々がたくさんいます。本当に日米同盟は、まず日本に何をもたらしているのでしょう。
 銀行の不良債権問題で始まった「構造改革」路線。銀行に莫大な国民の税金をつぎ込みました。中小企業からの貸し剥がしが広まり多くの中小企業を倒産の嵐が襲いました。そうして再建した銀行をべらぼうな安さでアメリカ企業に売り渡しました。元はと言えばアメリカの強い要求から始まった不良債権処理でした。
 「規制緩和」路線も強まりました。口を開けば「構造改革」・「規制緩和」の大合唱です。「改革を止めるな」「今時規制は世の中の流れに逆らっている」。「自由な企業の活動こそ最も重要」。「国が企業活動に口出しするな」。いわゆる、新自由主義の発想です。
 1 この大合唱の中で人材派遣も自由化。2 大型店舗の開店も自由化。3 外国企業の日本参入も自由化。企業合併もアメリカ式形態を取り入れ手続きの柔軟化。4 簡易保険の縮小・廃止も行われました。そして郵政民営化。当時の首相小泉氏は、まるで郵政民営化を実現すれば全ての問題が解決するような主張を繰り返し国民に説きました。
 「今は苦しくても、この先には希望が生まれる。一時みな我慢しよう」。小泉氏に雇われた御用学者(政府の主張を『学問』的に弁護する『学者』)竹中平蔵氏は「ジャンボジェット機も、前輪が持ち上がれば後輪はついてくる」と主張し、企業が儲かれば、そのお金が国民にまわる、と主張していました。古臭い昔の「セイの論理」まで持ち出していました。これらの主張は決して小泉氏の思想ではなく、これも単にアメリカに強く要求されていた事なのです。
 5 医療制度改革ぐらいは自分の頭で考えたのかと思うと、これもアメリカの強い要求から始まるのです。今テレビ・新聞の広告でアメリカや外国の保険会社の広告特に目立ちませんか。アリコ・ジャパンなんか有名です。この為に医療制度改革をしているのです。国民皆保険が崩れれば、民間企業の保険に入れる人は入ります。ここですよ。それも、日本の保険会社は三年ほど遅れて参入する事まで決めたのです。アメリカの保険会社が、出だしでトップに立てるように。
 今、日本の銀行金利は殆どゼロです。ゼロ金利とまで言われています。日本銀行の総裁はこれを維持すると云っています。これもアメリカの強い要求です。アメリカの金利より数パーセントは低く設定しろという指示です。そうすれば、アメリカの銀行にお金が流れていくからです。
 後期高齢者医療制度もこの流れの中での出来事です。ですから自公政府は決して国民からどのように怒りが湧こうが決して廃止するとは云えないのです。それ程深く、アメリカの利益の為の要求に付き従う事しか出来ないのです。
 1を要求したのは1996年。法制化は99年~04年。
 2を要求したには97年。法制化は98年。
 3を要求したのは00年。法制化は03年と05年。
 4を要求したのは99年~04年。法制化は05年。
 5を要求したのは01年。法制化は06年。
これでかなりお解かり頂けたかと思います。毎年300項目もの要求を日本につき付け、それに一生懸命応えているのが日本政府の長年に亘る現実なのです。これらの規制緩和や、構造改革で国民の暮らしは少しも良くなっていないのです。日本の大企業の収益はダントツに上がっています。アメリカ企業の日本参入もダントツに増えています。酷くなっているのは国民生活だけです。
 自衛隊を世界中に派兵したいのも、アメリカの要求が在って、初めて出来る事なのです。今はアフガニスタンに派兵したくて、したくてしょうがない。それも、武器使用を認めて。それ程、人に向けて銃をつき付け、発砲したい。でも、これもアメリカが、世界で共に戦う国が減ってきて、日本を巻き込む戦略を立てたから、夢想し、実現したいことなのです。アメリカから世界で日本の旗を見せろと云われて派遣していた自衛隊。アメリカから今度は靴を戦地に乗せろと云われて行ったイラク派兵。みんなアメリカの指示。大体から、世界に今こそ誇る平和憲法を持つ国に、軍隊と実質変わらない自衛隊を作らせたのもアメリカ。国民をだます為の知恵を日本に授けたのもアメリカ。最初は警察予備隊という名前で、次に保安隊という名前で、そして自衛隊と名づけさせたのもアメリカ。戦力保持に強い警戒感を持っていた当時の日本国民に、急には無理だから、憲法改定を含めて段々そんな雰囲気作りから始めようと教えたのもアメリカ。
 元は何なのでしょう。アメリカとの単独講和が最初です。いわゆるサンフランシスコ講和条約。これでめどが立ったアメリカは、日本に日米安保条約を押し付けるのです(1950年)。世界情勢の大きな変化、49年の中華人民共和国の誕生は、アメリカの想定外でした。ショックでした。ここから、本質的な日本政策の転換が始まり、軍事大国への道、しかしアメリカの手下となる軍事大国を作り出すのです。その矛盾が、今大きく日本に出てきたのです。
 日本とアメリカの関係を考察する時に、この時点(1950年)から見なければ正確な実情は見られません。
 戦争犯罪人を逃してもらった戦前の政治家を使う事によって、命の恩人を売り、云う事を効かせる、ここに安保条約の本質が在るのです。特に自民党はアメリカの手先になったのです。その落ちぶれた自民党を助け、延命させているのが公明党です。
 今、日本の国民がみな幸せなら私は黙ろう。老後の不安も無く、医療も充実していて、働けば働いただけの価値を受け取ったと思える人間らしい生活が開けているのなら、私は黙ろう。若者が元気に暮らせる世の中ならば私は黙ろう。病気になっても経済的不安に襲われず、治療に専念出来るなら、私は黙ろう。「構造改革」と「規制緩和」で国民が幸せに成ったならば私は黙ろう。何よりもこども達が伸び伸びと育つ環境だったら黙ろう。
 そして安保条約で、日本がアメリカと対等・平等の関係を築けているのなら私は今さし当たって何も言うまい。
だが、最初から日本のアメリカ従属条約として始まったのです。

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