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2008年8月13日 (水)

これのどこが「亜細亜解放戦争」だったのか? 1

                 仙波藤吾(86)さんの回想。
 「ここに来た八路軍(中国共産党の軍隊)は何人だ!」
 「どんな武器を持っていた!」
 「どっちへ行った!」
突如、一人の中国人男性に始まった拷問。日本軍の命令は絶対でした。通信隊の無線主だった仙波さんは、ちゅうちょしながら発電機のハンドル(転把)を回しました。後ろ手で椅子に座らされ、両手を発電機のコードで縛られた男性。高圧の電気が流れる『ヴッ』と声にもならない声を出し、いすごと倒れました。下士官が連れてきた男性は見るからに農民でした。「ボロボロの服きてね。破れた布靴は土ぼこりにまみれて。いままさに農作業やってた感じで。そういう人を叩きながら、引っ張ってくるんです」。兵士にとって「連行=戦果=軍の功労者」になると仙波さんは言います。
 気を失い、五ー十分後、目を覚ました農民に下士官はたたく、けるなどして同じ質問を浴びせました。農民は「わかりません。知りません」というだけ。「仙波、強く回せ!」。農民の身体に再び電気が流れました。意識が戻った農民の顔は青く、いすに座る事もできません。無言のまま、胸を突き出してきました。「生きて帰る望みはないと思ったのでしょう。最後の抵抗は『殺してくれ』という無言の意思表示だった」。
 下士官はフラフラになった農民を外に連れ出しました。夕方、仙波さんが目にしたのは、兵舎の片隅に横たわる血にぬれた農民の体でした。度胸を付けるため初年兵に課す、人体使刺突訓練の対象にされたのだろうと仙波さんはいいます。
 「人様に後ろ指を指されるなよ」「まっとうに生きるんだぞ」-母親の口癖でした。
「この二つの言葉さえ守れなかった。情けない限りです」。そう話し、食料を奪った罪を告白しました。
 無線班が過疎の部落に着いたときです。食材すべてを徴発する命令が出ました。無線手の任務は通常、後方の通信所から前線の各中隊への連絡や伝達事項の確認です。略奪行為は初めてのことでした。要領も得ないまま、重い軍靴で粗末な家の戸をけ破りました。中には、病に伏した老父と看病する老母しかいませんでした。そんな二人から、食料らしき物が包まれた小さな布をむしり取りました。老母が拝むように手を合わせ「持っていかないで」と懇願しました。しかし仙波さんは「『してやったり』と戦果を得た誇らしさしか感じなかった・・・」
 約二年間の従軍で犯した拷問と食料強奪は一度だけでした。それでも仙波さんは悔います。「孫の世代に絶対こんなことはさせたくない」。

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