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2008年12月 6日 (土)

日本の戦争の総点検 1

 沖縄集団自決を、ある意味、安部普三氏が云った広義、狭義の強制制に逃げ込む今の政府の姿勢がハッキリしてきた現在、私は多くの人々に日本の明治以来、日清・日露戦争に始まり、太平洋戦争の終結まで続いた戦争の本質を知って欲しいと思い、私が知り得た範囲で語ろうと考えました。このことを知ることが今大変重要なことだと思います。
 征韓論、征台論に始まった明治の日本。
 明治政府は成立から早くも六年後、1874年(明治7年)に中国(当時の清国)の一部である台湾に出兵しました。日本の最初の出兵は、1871年(明治4年)に台湾に漂着した琉球民が殺害されたのに対して、加害者を懲罰し、今後の航海安全策をとるという理由で三千六百人の日本軍を派兵し、先住民居住地区を武力掃討したのです。これは清国が「侵略だ」と抗議する中での出兵でした。アメリカのペリー来航による開国(1854〔安政1〕年)から二十年後のことです。インドの元首相ネルーは「開国以来二十年も経たないうちに、日本は中国に対して侵略的態度をとりはじめた」「日本は産業の方式においてばかりでなく、帝国主義的な攻撃のしかたについても、ヨーロッパのあとを追った。日本人はヨーロッパ列強の忠実な弟子以上のものであり、しばしばその上をいきさえしたのだ」(『父が子に語る世界歴史4=『日本のばく進』)
 ネルーは余程驚いたのです。戦前の日本を、「アジア開放のために戦い続けた国」なんて評価はされていませんでした。
 この頃から、自存自衛の戦争論は在りました。このシリーズで何度もこれから出てきますが、1945年までの約70年戦争のうち、太平洋戦争末期の沖縄戦以外は、外国から武力攻撃を受けた地上戦はただの一度もありませんでした。侵略されたことの無い国の自衛戦争とは、一体なんでしょう。ここに日本の生命線論が出てくるのです。どこの国であろうが、「ここが日本の生命線だ」と云えば、そこに軍隊を派兵したのです。

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