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2008年12月 6日 (土)

日本の戦争の総点検 2

 大きな戦争の最初は日清戦争でした。小さな戦争は後ほど書きます。
「戦争は単なる政治関係の継続と言うだけでなく、他の手段による政治の実現である」と言ったのはドイツ、19世紀のクラウゼヴィッツ将軍ですが戦争は高度に政治的現象なのです。「開戦外交」「戦争外交」と言われるように、日本の太平洋戦争終結前、二月の天皇の発言、終戦の決断を迫る近衛首相に「もう一つを戦果を上げねば」と云って終戦を伸ばしたのも、「終戦外交」の一つです。これによって、日本全土が空襲に見舞われ、広島・長崎の原爆投下を、もっとハッキリ言えば原爆の実際の実験を、アメリカにさせるきっかけを与えてしまったのです。その結果がアメリカ単独占領をも招いたのです。
 「宣戦布告」文もその外交戦の武器の一つであって、決して戦争の本当の目的を示しているとは言えないのです。更に、戦争が終わった後にまとめる「戦史」も、都合の悪いこと、不利なことは書かなかったのです。これは、私の勝手な想像ではなく、大本営参謀本部が「戦史編纂(へんさん)方針」を示していたのです。「国際法違反又は外交に影響すべき恐れのある記事は記述すべからず」「俘虜(ふりょ)、土人の虐待、若しくは中立審判と誤られ得べきもの等は、我が軍のの価値を減少するの恐れが在るが故記述しない」といっています。
 さて日清戦争です。宣戦布告文で「朝鮮の独立」を唱えながら実際にしたことは、宣戦布告(1894年8月1日)の八日前、七月二十三日に朝鮮王宮に攻撃をかけて軍事占領し、日本軍の侵略に反対する朝鮮農民の決起だった東学農民革命(朝鮮農民の国民運動)を軍事弾圧、殲滅したのです。そして翌年(1895年『明治28年』)には王妃を殺害、日露戦争を経て保護国としたのです。そして1910年(明治43年)には韓国併合をしてしまったのです。
 この戦争の「宣戦布告」と「講和条約」を比較してみます。「宣誓布告」では「極東の平和」とか「韓国の保全」とか云っていたのが、講和条約」では「韓国に於いて政事上及び経済上の卓越なる利益を有することを承認し、日本帝国政府が韓国に於いて必要と認むる指導、保護及び監理の措置を執るにあたり之を阻害し、又は干渉せざることを約す」。
 これで判りましたでしょう。宣戦布告文によって戦争の目的を決めることはまず出来ないのです。また「戦史」などでも軍隊に不都合なことは書かないと云っていたのですから凡そ真実はつかめません。

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