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2008年12月 6日 (土)

日本の戦争の総点検 4

 日清戦争開戦の八年前に、参謀本部第二局長小川又次陸軍大佐(後に大将)が密かに二度に亘り現地清国を調査しています。その上で「清国征討策案」をまとめました。1887年(明治20年)のことです。小川は「攻撃策案」として「我が帝国の独立を維持し国威を伸張するには、清を攻撃し、今の清国を分割して数小の邦国となすに非らざれば能わざるなり」として自国の独立と国威の伸張の為に勝手に他国を侵略する「理屈」を展開しています。「作戦計画」では「清国をして降を陣頭に乞わしめんと欲せば、我が軍を以ってかの海軍を撃破し、北京を攻略し清帝を禽獲(虜にすること)するを以って最上の手段とす」と書いています。朝鮮で、実際に王宮占領をしたとはいえ、更に清に対してもそれが最上の手段などとよく云えたものです。1890年(明治23年)三月には山県有朋が「外交政略論」を示し、「国家自衛の道に二つあり、一に曰く主権線を守護し他人の侵害を容れず、二に曰く利益線を防護し、我が利益線は実に朝鮮に在り。利益線を防護するため陸軍、海軍の軍備拡張」を強調しました。開戦の前年には川上操六参謀次長が朝鮮、清国を視察して戦争に備えますが「韓国出兵の議一度決するや我が帝国は明治15年及び17年の京城事変に際し、清国のためにつねにその機を先制されて失敗した。故に清国の韓国出兵に対しては、我が軍は清国以上の兵数をだして、15、17年の雪辱を雪がねばならぬ。之を撃破するに至らば、朝鮮を挙げて我が勢力圏と為すこと決して困難ではあるまい」。『陸軍大将川上操六』より。
 日清戦争は居留民保護のためも、文明の戦争論も何も無く、実態は侵略戦争でした。実際に戦争が始まると、朝鮮領内にとどまらず、鴨緑江を渡り中国領内に広がりました。ここに大東亜共栄権の原型が姿を現します。

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