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2008年12月 6日 (土)

日本の戦争の総点検 9

 日本が占領した台湾、澎湖島では、日本軍への抵抗運動は起こったのか。
やはりここでも起こりました。日本は日清講和条約で清国の遼東半島、台湾全島及び付属諸島嶼、澎湖列島を日本に割与することを認めさせました。いかし遼東半島はロシア、フランス、ドイツのいわゆる「三国干渉」で返還させられました。日本が「臥薪嘗胆」(がしんしょうたん 味わった屈辱を必ずはらす決意)を叫び、この恨みを晴らすべく、日露戦争へと軍備拡張、富国強兵の戦争体制を整えるきっかけになります。
 台湾・澎湖島では、官民あげての反対運動が起こるのです。台湾民主国の成立を宣言し、その宣言では「わが台湾敵に仕うるよりは死することを決す」と言っていますから、並みの反対ではなかったことが分ります。その証拠に、攻撃を恐れて台湾割与=主権授受式は地上ではなく、軍艦上で行わなければ成らなかったのです。当時の日本陸軍は十五万人程度の軍隊でしたが、その三分の一の五万人の部隊を派遣して、日清戦争につぐもう一つの戦争、台湾植民地戦争をおこなわなければならなかったのです。台湾の抵抗は激しく簡単には終結しませんでした。犠牲になった台湾人は一万七千人を超えました。
 日本が台湾を占有してから五年後の1900年。中国で爆発した帝国主義反対の闘い、義和団運動鎮圧の為に、帝国主義諸国の中国に対する国際的干渉戦争に参戦します。このことを、防衛庁・防衛研究所戦史部員の川野照晄明氏『近代日本の戦争史』の中で「あたかも屍に群がる『はげたか』の姿を思わせるものがあった」と書いています。日清戦争に敗れて生活や生産を破壊された農民や修行者は、秘密結社義和団に結集して、列強諸国から来て不平等条約を後ろ盾にして小作料を徴収したり財物を騙し取ったりするなどの横暴をくりかえした一部のキリスト教宣教師や教会を襲撃するなどの、反帝国主義運動を各地で展開していました。この義和団運動が、北京・天津地方に迫ってくると帝国主義諸国はイギリス・アメリカ・ロシア・日本・フランス・ドイツ・イタリア・オーストラリアの八カ国連合軍を派遣して鎮圧に乗り出します。各国の帝国主義的権益を守ろうと中国人の運動に対する干渉と、敵対的立場を鮮明にします。日本はアジアの一国でありながら、一個師団二万二千人を派遣し、他の帝国主義国との初めての共同作戦でアジアの一国、中国を攻めたのです。派遣の兵員数も多かっただけでなく、戦死者も群れを抜いて多かったのです。犠牲を省みず「勇敢」に戦い、他の帝国主義諸国に日本の存在を大きくアッピールしたのです。
 外務省編『小村外交史』は1941年の時点で次のように書いています。「義和団は複雑な政治的色彩を持っているが、其の根底は列強の飽くなき帝国主義的侵略に対する民衆の反抗的暴動であり、その鎮圧に際し最も強力な先鋒となり、更に最も忠義に列強の方針に追従することに依って、日本は始めて列強と対等の立場を獲得し世界の舞台に登場するに至り愈愈よく極東の憲兵としての実力をかわれたのであった」。こうして「北清事変議定書」では、日本軍の中国駐留を認めさせたのです。そして、この軍隊が1937年、盧溝橋事件を引き起こし、日中全面戦争に突入していくのです。そして、この義和団鎮圧戦争で、日本で始めて戦争反対の声が上がったのです。幸徳秋水の「非戦主義」です。

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