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2008年12月 6日 (土)

日本の戦争の総点検 10

 日清戦争から十年、義和団鎮圧戦争から四年後、日本は再び戦争を戦います。日露戦争です。
日露戦争は私も小さい時から「知って」いました。「明治天皇と日露大戦争」なんていう映画が盛んに上映されていたのです。嵐寛十郎と言う俳優が明治天皇で、威厳があって立派でした。ロシア・バルチック艦隊を殲滅したり、203高地の奪い合いに勝った時のなんともいえない胸の高揚を、覚えています。東郷平八郎も覚えています。偉い人だった記憶もあります。でも、何の為の戦争だったかは、全然覚えが在りません。
 前回書いた「臥薪嘗胆」を合言葉に、日清戦争開戦時七個師団だった日本陸軍は、日露戦争開戦時には十三個師団になりました。海軍も日清戦争翌年の1896年から1905年までの十年間に、四隻の戦艦、十一隻の巡洋艦を含む百三隻、合計十五万三千トン建造計画を、早くも1902年にほぼ実現しました。日清戦争開戦時は六万三千トンでしたから、二倍半に拡張した訳です。これが、私が学校で教わった富国強兵政策だったのです。
 では外交の準備はどう進めたのか。今までと違う条件は、海外列強の帝国主義国の仲間入りをしたことですから、外交のことも考えねばなりません。軍事評論家の伊藤正徳は『国防史』で「日英同盟を離れて日露戦争を語ることは、不可能ではないまでも、少なくとも困難である。それほど日英同盟は、我が対露外交の後ろ盾として有効に利用され、且つ軍事的準備及び戦争の遂行そのものの上に活用されたのである。1904年の政局は、当時二等国であった日本が、世界的大国イギリスと組んで、他の世界的強国といわれたロシアを討ったものである」といっています。日露戦争は1902年(明治35年)1月に調印した日英同盟なしには、戦えませんでした。日露戦争時に日本が保有した艦船をみると、戦艦は六隻、装甲巡洋艦も六隻中四隻がイギリスで建造したものでした。戦費の調達も、大増税と日清戦争の賠償金だけでは賄えず、外国債に依存するのですが、この面でもイギリスに大きく依存したのです。日英同盟は、清国における日本の権益を互いに認め合って、その権益が列国の侵略的行動もしくは騒動の発生、つまりは中国人の闘争によって侵迫された場合には両国がいずれもその利益を守る為に、「必要欠くべからざる措置」をとること、(第一条)日英いずれかが戦争を開始した場合、双方は中立を守り(第二条)その戦争に他の一国または数国が加わった時は、お互いに参戦して援助する(第三条)というものでした。

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