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2008年12月 6日 (土)

日本の戦争の総点検 5

 日清戦争は今まで述べたように清国兵を朝鮮から駆逐することを依頼されたという「大義名分」のもと、まず朝鮮領内で戦われます。1894年7月25日、宣戦布告もしないまま奇襲攻撃によるソウル近くの豊島沖海戦に始まり、陸上では7月29日の成歓の戦闘で本格化します。8月1日、清国に宣戦布告しました。戦闘は日本軍が勝利を続け、9月16日ピョンヤンで清国軍を打ち破り、清国軍は朝鮮領内からくちくされました。日本政府が主張した「朝鮮国王の要請」という目的は果たしました。ここで、日本がどのように対応したか。
 「日清戦史草案」は次のように述べていました。「若し今回戦争の目的をして単に朝鮮を掖扶(ふえき=たすけること)するに在らしめば即ち已む。苟(いやしく)も東洋全局の平和を将来に図るに在らしめれば、必ずまず此要地(台湾・澎湖島)を軍港となし、茲に完全の守備も設けざるべからず」。
 清国への宣戦布告の八日後、1894年8月9日の陸軍参謀会議での論議。「朝鮮半島に送るべき後続兵を一個師団に止め、たの一個師団を以って台湾を占領し、本冬季を経過せん」。会議の結論。「季節許さざるが故に、たとえ海戦勝利を得るも、作戦大方針第二期の作戦は、明年雪氷融解の機まで延期し、本年に於いてはまず大方針の場合に於ける如く朝鮮半島へ後続師団を送り敵を同島より駆逐し、明年作戦の地歩占めおくべし」ということになりました。当時の軍幹部達は、太平洋の将来構想を踏まえた日清戦争の作戦を論議していたのです。必ず、澎湖島、台湾を占拠しなければならないと結論付けていたのです。特に澎湖島については、「将来東亜の覇権をにぎり太平洋の海上を制する」のに必要とも云っていました。

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