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2009年6月 4日 (木)

ご自分のうまれた国の芸、どのように思われますか?

 私は日本の伝統音楽「長唄」を専門にし、その中でも三味線弾きとして活動しているのはご存知かと思いますが、私達音楽とかをする人間は昔から「芸人馬鹿」と言われ社会のことおよそ知らず考えないのです・・・
 その付けが今私達の世界を襲っています。国民の多くがただ食べることでさえ精いっぱいの社会に成ってしまったのです。生活以外のことを中々楽しめる時代では無くなってしまったのです。ですから東京芸術大学を卒業しても私達の後輩の多くは食べていけないのです。
 これは東大を卒業しても、有名大学を卒業してもその学歴だけでは食べていけない。当然それなりの能力が要求されるでしょう。でも現実は、本当に能力を持っていても就職出来ない、これが現在の社会の現実です。私達がしている芸は、今日食べる物を得、それで満たされる生活とは離れた心の豊かさという、実際に呼吸をし身体に栄養物を吸収する分野とは違う、高度に発達した生き物だけが持つ特殊と言えば特殊な分野なのです。生活を行うという生活事態とはちょっと別の分野なのですが、動物の中でも高等動物と言われる霊長類、高度に発達している人間にとっては健全に豊かにに生きる為には必要な大事な分野なのです。人間が生きる上での大切な要素なのですが、それらは真っ先に削り取られてきているのです。
 猿にもうつ病が発症する世の中です。それらは現代病とも言われますが、現実には生をこの地球上に受けた者にとっては生きづらい世の中が大きく影響しているのです。猿も可愛そうです・・本当に。実は物言わない他の動植物もそうなのです・・・この現実に私達は気づき、何故そうなってしまったのか、ここまで想像力を働かせ、今何が芸人として出来るのか、そこまで考え芸人活動しないと現在を生きる芸人としての役割を果せないと思います。 
 本当は人間としての実に豊かな想像力を持つ「芸人」が存在しなければいけないのです。
 チョット考えれば解る事なのですが昔から芸人は当時起こったことをその場で題材にし翌日には舞台に掛けたのです。これがニュース性を伴いながら出来事の裏の真実味をおびた状況まで表現する、それこそが庶民に愛された日本芸能の原点だったのです。事実を面白おかしく伝えながら、幕府の弾圧を受けないように登場人物の名前も微妙に変えながら徳川幕府への批判を風刺するように表現したのです。これで庶民から大喝采され支持を得てきたのです。今までのいつの世も庶民は苦しめられ続けてきたのです。この庶民の中から生まれた芸人、例え乞食役者、乞食芸人云われても庶民を味方に生まれた芸だからこそ日本の伝統芸能と言われるほどの生命力を持ってきたのです。
 
 でも、現在「芸人」と呼ばれる事さえ心理的に拒否する人が「名人」と云われる人も含めてのほとんどです。何も想像しない想像力の欠如した本当の「芸人馬鹿」、「役者馬鹿」ばかりです。ただ先人のしてきた「かたち」を踏襲するそれで精いっぱいなのです。庶民の直面している深刻な現実はそれ、そのまま、何も感じないし考えない。
 ですから後の世まで残るだろうと思われる作品がなかなか出てこないのです。

 私達の芸の後継者が現実に生活できなくても、「自分のこどもは生活できる」「私は贅沢できる」、ここから一歩も先を考えないのです。本当は先じゃ無いですね、芸の根本、何故芸が人間社会の中で存続し存在し、芸人が生活する事を許されているのかを何も思考しない芸人ががいっぱいになっているのです。私達が昔のように現代にぴったりした作品を作り出そうと努力をしていないのです。これでは本当に「古典芸能」になってしまうのです。

 過去の先人たちは、歌舞伎役者で言えば明治天皇制新政府時代に政府から命じられたことを有りがたがって黙って受け入れ、自ら私生活では「これからは洋服の時代だ、着物を着用しないぞ」と実践した有名な当時の「名優」もいました。これからは敵討ち物、仇討ち物、戦国武勇伝ものしか歌舞伎で上演してはならぬ、庶民の心の機微を表現した「世話物」など、例えば近松門左衛門の作品などは上演禁止と云われれば「ヘイごもっともです」と云わんばかりに上演しなくなった。同時に「たかが歌舞伎役者」が政府の役人に登用され喜んでいたのです。
 
 そんな時代を経て、あの太平洋戦争の時は、私の師匠を含め多くの先輩達が兵隊に徴集され、数多くの人々が戦地で死にました。残っていた先輩達は「八紘一宇」とか「「桜咲く国」とか国策曲をつくった苦い経験が在るのです。でも、今その時代を生き抜いた私達の社会の先輩たちには、今現在も後悔の念は勿論反省の思いも皆無です。それどころか、今進められている伝統文化見直し教育制度を大喜びしているのが現実なのです。文部科学省が出す学習指導要領に今年「長唄」という言葉が入っただけで大喜びする、それが確かに邦楽教育の充実に努力してきた多くの先輩たちの長年の努力の結果である事を私絶対否定しません。でも、現在の文科省「邦楽教育取り入れ」は、日本の愛国心教育と裏腹の位置にあり、単純に喜べることでは無いのです。でも、そこを見抜き、愛国心のオブラートではない本当の自国の芸を大切にする教育を求める声は私の身近からは全然聞こえてきません。

 私は芸人こそ社会の在りよう、社会の現実に敏感でなければ成らないと思います。鈍感ではいけないと・・・

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