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2009年12月24日 (木)

私は、自らの平和と平穏が現在生きる人の犠牲の上に存在するのなら自ら死を選ぶ。

 自分より若い少年・少女が犠牲に成ってでも、自らの生活の『安全』『平穏』」の為ならしょうがない、こんな考えの人、世界には滅多にいないでしょうが、でも、日本人には結構多いのかもしれません。

 沖縄に在る米軍基地は必要なんて考えるのもその一つです。
 
 私は人を犠牲にしてまで生きいてたく在りません。

 私は、人の犠牲の上に生きるほどの価値を、自ら見つけられないからです。

 でも私死にません!
 何故なら、私は人の犠牲の上に生きているとは思わないからです。

 ここのところの日本の世の中は、競争意識と競争に勝つことが全てだ云う教育をなされて来ました。
 全て勝ち負けで、あなたの人生が決まるような感じで・・・・

 勝ち組、負け組み何て言う言葉・・・
 でも、正確に言うと、つい最近は余り云われていません。

 何故でしょう?
 あのライブドアが社会の耳目を集めた頃は、テレビでも盛んに云われ、それが当たり前のようでした。

 でも、今や殆どの人が負け組みに入ることが明らかに成ってしまったからです。
 誰が、どんなお偉い方が、勝ち組とか負け組みとかて云っても、国民誰もが振り向かなくなってしまったのです。

 だって、勝ち組が身近に見渡す限り世の中にいないからです。

 いくら何でも、世の中で通用しない事が明確に成ってしまったからです。
 国民に、幻想さえばら撒けなく成ってしまったからです。

 この勝ち組、負け組みと同じ「論理」立てで始まったのが、勝った人たちの「平和と安全を守る」為には、時には犠牲が必要なのだという身勝手な「論理」なのです。

 これって、近代社会では全然通用しない論理なのですが、日本では『以外』に生きているのです。

 戦前の日本の主張がまさに、それでした。
 アジアに日本軍が出兵したのは、日本の国益を『守る』為だったと・・・・

 私はその主張認めませんが、意外に多くの方、何となく今でもそんな風に思っていませんか?


 

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