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2011年2月21日 (月)

民主党・自民党、マスメデイアの国会議員定数削減論に騙されては成りません。福祉先進国として名高い北欧四ヶ国は「3.89~3.29」です。定数削減論者はことの本質を隠しています!

 この数字は国民10万人当たりに対する国会議員数です。
 
 スウエーデンは10万人の国民に対して3.89人の国会議員が仕事をしています。
 フィンランドは10万人の国民に対して3.79人の国会議員が仕事をしています。
 ノルウエーでは10万人の国民に対して3.6人の国会議員が仕事をしています。
 デンマークでは10万人の国民に対して3.29人の国会議員が仕事をしています。

 貧富の大きな差と社会保障の無い、更に経済が行き詰まっているアメリカはどうでしょう・・・
 10万人の国民に対して0,17人しか国会議員がいないのです。

 社会保障費は毎年削られ莫大な健康保険料を納めていても、ちょっと大きな病気に罹れば払いきれないで治療も受けられない、ちょと怪我して、或いは体調を崩して欠勤すれば即「あんたは要らないよ!」と宣告される不安定な非正規雇用で若者が働く日本ではどうか?
 0,57人です・・・たったの。

 この事実から見出せることは、福祉や、国民の権利がきちんと守られている国ほど国会議員の、国民10万人当たりに対する人数が多い事です!

 10万人でなく、100万人で考えるとちょっと現実的に把握出来るのでは無いかと思います。
 議員の数が0点幾つでは一人にも成らないのですから想像がしにくいと思うのです。

 スウェーデンを例に取れば、100万人の国民に対して約39人の国会議員が仕事をすることに成ります。
 方やアメリカは約1.7人の国会議員が仕事していることに成ります。

 人の数なのに、点幾つは解りにくいのでそれをなくす為に1000万人の国民に対してと考えましょう。
 スウェーデンは390人の国会議員です。
 アメリカは17人の国会議員です・・・

 日本は57人の国会議員です。

 ちょっとドイツを例にしますと81人です。
 カナダでは125人です。
 フランスでは149人です。
 イギリスでは228人です。
 韓国では81人です。

 いかが思われますか?

 「財政が厳しいのでまず国会議員自らが身を切って・・・それから消費税増税をお願いする・・・・」なんて、白々しい言葉に聞こえませんか・・・・?

 消費税という貧困な人にこそ一層重く負担が掛かる税制を、それを社会保障の財源になんて狙っている人たちは極悪人です。血も涙も無い冷血漢です!

 国会議員の定数削減に何となく賛成しそうな人たちが多い事を私も知っています。

 それは多くの国会議員が、現実の政治の中で国民の為に成ることをして来なかったからです!
 国会議員に二世・三世の議員がいるように、国民の願いを裏切る国会議員にとっては儲かる仕事なのです。
 当選しさえすれば、その為にした借金を返して余りある儲かる商売としての、国民の為に働かない議員がたくさん現実にいて、それを見ている国民に「国会議員なんて無駄な存在だ」と思わせてきたからです。

 彼奴らが国民の中に振り撒き、利益をむさぼり、国民を喰い物にし、挙句の果てに出してきたのが国会議員削減論、それも比例定数削減です。

 私達の前に提示される問題の多くはNHK等の大規模な報道と、いつでも垂れ流されている学者や『専門家』なる人の発言であります。

 このわたしの記事を見てくださって、「こんなこと初めて知った・・・」と思われたら、もしかすると洗脳から抜け出られるかも知れません。それが、南アメリカ大陸から始まり、今、中東、北アフリカ大陸の諸国に拡がる革命的な世界の変革の時代をお感じ頂けるきっかけに成ればとても嬉しいのです。

 ですが、何のコメントも無いのがこの日本に於けるインターネットの世界みたいですね・・・・寂しい。

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2011年2月14日 (月)

管首相の「お年寄りの年金、医療、介護に17兆円かかっている。消費税を全部充てているが10兆円たりず、国の借金で賄っている。このままでは財政破綻だ」は、悪知恵を絞ったあげくの国民を恫喝する発言です!

 自民党を離党した『立ち上がれ日本』の与謝野氏が立ち上がった筈なのに民主党内閣の大臣の椅子に座った事はとても可笑しな話ですが、彼は自公政権時の自民党財政改革研究会の会長でした。

 こども手当ての財源を消費税で賄う事も、消費税充当の当然の対象としています。
  
 年金、医療、介護などの費用、要するに社会保障的な費用は消費税で全て賄おうとしているのです。

 この人は著書の中で「今後は社会保障の水準は消費税率で決まる・・・他の分野の歳出削減がどの程度進んだかとは関係がなくなる・・・」とまで主張しています。

 民主党衆議院議員・小川潤也氏は2月7日の予算委員会で「今、社会保障費だけで80兆円。消費税を25%にしても50兆円しか出てこないので、社会保障給付の二割削減が求められている」と発言しました。

 首相の発言、与謝野氏の主張、小川議員の発言からはっきり見て取れる事は、社会保障に関する費用は消費税財源だけにして、一般税収とは別会計にすると云うことです。

 憲法では、天皇条項(第一章)の次に戦争の放棄(第ニ章)そして国民の権利及び義務(第三章)を掲げています。

 第三章の内容は要約すれば、国民は全ての基本的人権の享有を妨げられない。憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことの出来ない永久の権利(第十一条)、全て国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする(第十三条)。全て国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は全ての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない(第二十五条)。全て国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、等しく教育を受ける権利を有する。義務教育は無償とする(第二十六条)。全て国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める(第二十七条)。

 たったこれだけ、憲法のほんの一部を読んだだけで、今の政府のしている事の異常さが判ります。

 わたし達は憲法を知る必要が有ると心から思います。
 それは、現在の政治がいかに理不尽な、憲法を無視した政治であるかをはっきりと自覚させてくれると思います。

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2011年2月 6日 (日)

八百長と相撲は言葉の語源にまで遡る切っても切れない縁が在るのです。

 明治時代の初め、八百屋をしていた根本長造さんは「八百屋の長さん」とも呼ばれ同時に「八百長さん」と云われていました。彼は現在の相撲協会に当たる相撲会所に出入りし、相撲茶屋も経営していました。

 八百長さんは当時の伊勢ノ海親方に取り入ろうとして、親方の好きな囲碁でわざと負ける・・・
 それが八百長の語源です。

 相撲が『国技』に成ったのは明治時代の末でした。

 明治時代と言えば天皇制政府の下で、富国強兵政策が行なわれアジア全体への侵攻を企んで、侵略戦争に突き進んでいた時代です。

 国技なるものも産み出し、国威発揚の為には何でも在りの時代でした。

 ですから、相撲は決して現代人が言うスポーツではないのです。
 興行なのです・・・
 サーカスと同じ興行なのです。

 一生懸命努力して自分の地位を築いてきた関取も当然いますでしょう。

 私が大好きな大関もいます。
 私が大好きな横綱もいます。

 でも、彼等は日本の「国技」だから頑張ろうなんて考えてはいないと思います・・・

 自分が頑張りたいからです・・・・
 どこまで自分を磨けるか、そこを極めたいから頑張っているのです、きっと・・・

 その他の相撲取りはの多くは、稼ぎに成るからだろうと思います。
 
 現在、時代は大変わりしてまともにしていては就職さえ出来ない社会です。
 暮らしていく事さえ出来ない世の中です。
 高校を卒業しても大学を卒業しても、若者に対して大きく口を開けて待っているのは「お前はいらない!」という拒絶の社会です。どれだけ多くの人たちが、若者がこの人間としての存在を深いところで拒絶され傷ついているのでしょう。

 相撲で八百長があっても、ニュースのトップニュースでは無いはずです。
 わたし達が知らなければいけないニュースはもっと在るはずです・・・

 今更、報道機関も初めて知ったように大騒ぎしているのも、ちょっと変だと・・と感じるのです。

 国民栄誉賞を受けた横綱の在位当時から相撲の八百長疑惑問題は存在していたのですから・・・・ 

 

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2011年2月 4日 (金)

エジプト情勢。混乱の元は大統領「支持派」なる勢力の暴力です。

 1960年、日本の本当の独立と平和を望んだ圧倒的多くの国民の声は、国会議事堂を取り囲む人々の多さに示されていました。尻に火がつくように慌てていたのは岸信介でした。

 私が今住む保守王国と言われる群馬県も、当時年少だった私が記憶しているぐらいに反安保の力が強く「群馬民擁連『民主主義擁護連盟』」の旗が国会の回りに見え隠れしていました。

 整然とし、極めて平和的な、そして思いを込めた国会包囲集会を、騒乱に巻き込んだのは全学連(全国学生自治会連合)主流派を乗っ取ったいわゆる「過激派」集団でした。

 『革命的マルクス主義派』『革命的中核派」』『社青同(当時の社会党が作っていた青年組織)』『共産主義青年同盟』などが『有名』な「過激派」集団でしたが、彼等の指導部には裏の顔が在りました。当時の右翼の大幹部、児玉なる人から資金を得ていたのです。

 日本が日米安保条約を改定してはいけないと思っていた多くの若者の中で、「過激派」に組織されてしまった人々はその幹部の働き蜂のように、平和的運動に対して暴力を振るったのです。国会を取り囲む国民に対して暴力を奮い、多くの人々を傷付けたのです「お前達は甘ちょろい!反革命だと」。 
 「過激派」の『善良』な人々には悲劇だったでしょう・・・自分の行動が全然違う政治的意思に使われたのですから・・・
 樺美智子さんが死亡し、安保への国民の反対運動は次第に収束して行きます・・・

 十年後の70年安保闘争の時は、同じような「過激派」が『全共闘』を名乗り、私を含む団塊の世代を巻き込んで、いわゆる「全共闘時代」成るものを創作させたのです。若き時の夢のような感覚・・・感性の素晴らしさ・・・それらが褒め称えられてきたのです。

 今、エジプトで起こっているのは革命です!

 それに対して抵抗するグループは、攻撃をし掛けます。今、まさにその状況ですが、私が断言するのは、平和的デモ・集会に対して武力を使うのは大統領勢力です。

 何故なら、エジプト軍も平和的集会に対して武力は使わないと声明しています。

 この時点で、平和的集会を破壊し、平和的デモを騒乱に巻き込んで混乱させて利益を得るのは、大統領の一派しか在り得ないのは極めて当たり前のことです。

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2011年2月 2日 (水)

大相撲八百長疑惑、朝日新聞夕刊に載った三氏の意見で私が一番共感する漫画家倉田真由美さん・・・・

 NHKの大相撲放送を長くしていた杉山元アナウンサーのコメントは的外れ・・・・何か誤魔化している。
 澤村田之助・歌舞伎役者のコメントのコメントも的外れ・・・役者とは違います。
 漫画家・倉田真由美のコメントは私の心に一番届いた・・・・

 「八百長はずっと言われてきたことで、やっているんだろうなと思っていた。驚きは無い。狭い中で顔見知りの人間だけでやっていて、相撲協会でも偉くなるのは元力士の人ばかり。風通しの悪い業界で、閉塞された空間が要因になっているのではないか。内部の誰かが裏切ったわけでもないのに、有無を言わせない証拠が出て来てしまった。」

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国技・相撲の八百長疑惑と天皇賜杯・・・

 『国技』と広辞苑を調べると「その国特有の技芸」「一国の代表的な競技」と記されています。

 現在、相撲は本当に日本固有の競技なのかをわたし達はあらためて考える必要が有ると思います。
   
 日本の相撲と同じ様な競技は、アジアにも在ったことは皆さんの知るところです・・・
 ここのところ優勝を勝ち取っている相撲取りはモンゴル人力士です。

 強い横綱はここ数年日本人力士ではいません。

 柔道が国際的スポーツとして認められる時にも、胴衣の色は白だと『頑張った』人たちが大勢いましたが、いまや白だけでは無くなりました。
 白でなければと『頑張った』人たちは、柔道は日本で出来た『柔らの道』だからと考えたのです。
 『道』なんて考えては私は駄目なんだと思います・・・
 
 相撲も、相撲道とも言うようにやはり『道』です・・・
 柔道・空手道・合気道みんな日本で発生した武道ばかりです。国技とまで言われているのは相撲だけですが・・

 ボクシング道、レスリング道、テニス道、ゴルフ道、卓球道、バスケットボール道、バレーボール道、そんな言い方絶対しません。

 方や、スポーツでは無い世界では日本発の文化には『道』が付く事が結構有るのです。
 芸道一筋とか、茶道、華道、仏道とか・・・

 相撲はおまけに『国技』ですからですかね・・天皇賜杯まで在ります。
 ですからですかね、その賜杯を優勝者が受ける前には会場の人々が「君が代」をうたいます。

 昔は「千秋楽のうた」と言われていたのです。
 現在は国歌斉唱と言われます。
 おまけに伴奏する楽団が何時の時からか変わりまして、今は自衛隊です。

 アジア人だけでなく、ヨーロッパ人も参加し優勝を争う力士の国籍が多様化した今、『相撲は日本の国技だ』なんて主張する人たちは、時代遅れの化石にもなれない人たちです。

 さらに八百長疑惑・・・
 私は疑惑となんて思いません!

 事実に決まっています!
 あんな頭からぶつかる『ガチンこ相撲』だけで相撲勝負の面白さが保たれているのなら、世話は無い・・・

 現在騒がしく云われていいることの中身は、『国技』としての問題、それが全てです。
 
 国技なんてことと無関係に、スポーツとして問題提起する報道を皆さんお聴きになっていますか?

 全く在りません!わたしの一方的主張ですが、横綱白朋関を大好きで応援している私です。

 そうそう、私が大嫌いな競輪競技などにも、宮様の名前を冠した「何とかの宮杯」が年中行なわれています。
 一つの試合に、儲けたいと勝負を賭ける一口が安い、それだけにどんな貧乏人も『希望が持てる』競輪を私が嫌いだと言い切るのは、賭け事で幸せは掴めないと想うからです・・・何か幸せがもしかしたら掴めるのではないかと本当に苦しい生活を強いられている人々を騙す為に、例えば「三笠宮寛仁杯」等という宮様カップが在るのでしょうか・・・・

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