« 徳川家発祥の地、群馬県太田市「縁切り寺」(満徳寺)で10月2日午後2時より長唄『問答入り勧進帳』を文化庁主催の演奏会で演奏します。 | トップページ | 今も昔も社会党(現・社民党)には甘い権力と、日本共産党の存在意義。 »

2011年8月12日 (金)

日本で初めての原子力開発予算が誕生した時は1955年12月臨時国会です。当時の『二大政党』自民党・社会党の合作で始まりました・・・・

 原子力の研究、開発及び利用の促進について定められた「原子力基本法案」は衆議院で2日、参議院で2日、たった4日間の審議でした。

 アメリカの核兵器によって悲劇的甚大な被害を受けた日本が、核の開発や利用促進を初めて決め、予算を付けたこの法律は「共産党を除いた超党派勢力を結集してこれを民主的に推進することを目的とした」(経団連10年史より)法律で、現在の原子力発電の出発点に成った法律でした。

 この時点から『二大政党制』と「共産党を除く」体制で始まったのは意外と知られていない事実なのです。

 中曽根康弘氏が55年間も前からの原発推進勢力の指導者だったことに新たな驚きですが「共産党を除く」体制もその頃から作りだされ、議員立法として会期末に突然提出されたった4日の審議で成立したことを考えれば反対する大きな議席が無かったことを示しています。

 提案議員は421名に上り、自民党・社会党の衆議院議員全員が提出者でした。

|

« 徳川家発祥の地、群馬県太田市「縁切り寺」(満徳寺)で10月2日午後2時より長唄『問答入り勧進帳』を文化庁主催の演奏会で演奏します。 | トップページ | 今も昔も社会党(現・社民党)には甘い権力と、日本共産党の存在意義。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 徳川家発祥の地、群馬県太田市「縁切り寺」(満徳寺)で10月2日午後2時より長唄『問答入り勧進帳』を文化庁主催の演奏会で演奏します。 | トップページ | 今も昔も社会党(現・社民党)には甘い権力と、日本共産党の存在意義。 »