2011年5月20日 (金)

『こども三味線教室』9年目への挑戦を今日してきました。日本政府の「伝統文化を大切に」が如何に嘘八百かを、またも痛感し今日でした・・・

 毎年毎年、この時期はある意味私にとって憂鬱な時なのです。

 三味線音楽の心地良さを、少しでも多くのこども達に感じて欲しくて始めた『こども三味線教室』も、今年の募集で9年目を迎えました。

 どれ程の多くのこども達が応募してくれるのか・・不安であり楽しみでも在ります。

 今まで8年間で、300百人を超えるこども達に三味線音楽の面白さを体感してもらいました。

 私は、音楽というものは比較したり、優劣を競うものではないと思っています。
 
 ヨーロッパのクラシック(古典)音楽も含め、ラテン音楽も含め、アフリカ大陸の音楽の原点ともいえるリズム音楽を含め、タンゴ、カンッオーネ、ヨーデル、日本の浜歌、舟歌を含め、日本の民謡などを含め、何処にも優劣など在りません。

 地域の学校の、校長先生・教頭先生・教務主任の先生也と連絡をし、訪問するのですが、学校によって様々な対応があり私にとってはまるで神経戦のようで、毎年くたくたに成る程疲れます・・・・

 永年の実績は大きな力で、文化庁とか、何とかという肩書きが無くても殆どの学校では「毎年していらっしゃる三味線教室の先生ですね・・ご苦労さまです・・・」「お疲れ様です・・・」「よろしくお願いします・・」とか、言って下さるように成りました。

 でも、今年はどうなるのか、当然不安な気持ちで訪れるわけです。

 今日も一校だけ、偉そうな教頭先生がいました。

 「あんたは一体何者だ!」みたいな対応でした・・・・

 挙句の果てに「クラスで全員の生徒に渡す事はしません。教室に置いておいて、関心を持ったこが、持って帰る・・・^^^!」

 わたしは一昨年、ある小学校で校長先生と徹底的に話をしました。
 同じように言った校長先生に「こどもが習うとは、こどもの関心だけに任せてはいけないのではありませんか?親の協力無しではで出来ないことですし、親の判断も重要な年頃です!是非、クラス中のこども達に、お渡しして欲しい・・」と。

 暫らくしてから、校長先生は「判りました。でも、参加者がいるかどうか判りませんよ・・」と仰いました。
 
 でも、その年、その学校から初めての参加者を迎えました。そして、そのこは「三味線って面白い!」と言います。親御さんは最初の頃「このこは飽きっぽいこなので・・・」と仰っていましたが「本当に好きみたいです」と喜んでくださっています。

 私は、現在の教育の在り方に心から反対します。

 暫らく前に云われていた「ゆとり教育」も、それを見直したという現在の教育も、教育の在り方、それ自体が根本的におかしい!

 決してわたし達国民の立場に、庶民の立場に、そして根本的に人間の立場に少しも立っていません。

 音楽がまさにそうであるように、人間の豊かな想像力こそが、一番大事なのです。

 豊かな想像力を人間が持てれば、人殺しなんて起きない!
 豊かな想像力を人間が持てれば、殺人なんて起こせない!
 豊かな想像力を人間が持てれば、戦争も起こせない!
 豊かな想像力を人間が持てれば、一人だけ幸せに成る事を許さない!
 豊かな想像力を人間が持てれば、人間を差別する事など在り得ない!

 豊かな心を何も育てようとしない教育、頭がただ「いっぱい」に成るつめこみ教育は、自ら頭を使って考えることの出来ない、思考力のない人間育成であり、人間性を破壊し、たった一部の人間の思うとおりにさせるだけの、極めて人間形成にとって大事な時期を利用した、将来歴史的に明らかに成る反人間教育です。

 この現在の教育過程は、将来の歴史的検証を経る以前に必ず改められるでしょう。また、絶対改めさせなくてどうするのです・・・・皆さん!

 

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2010年3月15日 (月)

昨日コンサートが無事終了しました。

 大勢のお客様が来てくださいました。
  
 大勢のお客様が、アンケートにお応えくださいました。

 こども達の成長に、多くのお客様が驚きと、感動の声をお寄せくださり、大変でしょうがずっと長くヤサヱモン座の教室を続けて欲しいとのお声をたくさん頂きました。

 また、このような演奏会が前橋にあることに、つくづく、前橋に住んでいて良かったというお声を聴き、嬉しくなりました。

 一つのことを、長く続けることは、大変な情熱と苦労を伴います。

 今回のように、へこたれる自分に鞭打ちながら、持病のうつ病を悪化させるようなことも在ります。

 でも、最後に大きな拍手を頂いたことが、最高の励ましと感じました。
 
 お客様、出演者、お弟子さん達、中でも私を一生懸命励ましてくださった方々に、涙を流しながら感謝いたしております。

 ありがとうございました。

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2010年2月21日 (日)

長唄コンサート県民会館11回めを迎えて、私が『新曲浦島』の立て(一曲の指揮者)三味線を弾くことに成りました。

 私が、弾く羽目に成りました。
 お客様に、失礼の無いように、一生懸命勤めます。

 私の今までの人生をかけて、頑張りますから、宜しくお願い致します・・・

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2010年1月21日 (木)

音楽家にとって、暗譜は必要か? 新聞赤旗の新年号、志位委員長とピアニストの対談記事を読んで・・・ 

 この記事全体から読み取れることは、暗譜の呪縛から音楽家が逃れる事が出来たと言う暗譜に否定的主張だったと私は受け取りました。

 ショパンは当時、譜面を見ない演奏者に厳しく怒ったとも、書かれています。

 譜面に忠実に演奏することの大切さを、紙上のピアニストは言っているのですが、その後には、演奏者の演奏上の想いの表現にも触れています。

 私は、音楽を専門とし、職業にしてきた人間として、一言いいたいのです。

 まず、譜面に、一体どれだけの内容が表記されているのかに私は疑問を持つのです。

 譜面に記せることには、自ずと限界があります。
 音を、文字で、或いは表記で表すのです。
 p(ピアノ・弱く)、f(フォルテ・強く)、もっと細かい表記法も当然ありますが、しょせん音ではない、文字表記です。

 例えば♪=60と表記された音符は、そのスペース上に記された音楽の演奏速度を表します。

 でも、ヨーロッパのクラシック音楽でも、作曲された当時の作曲家の指定した、テンポとは違う、より速くなったカウントで演奏されているのが現実です。

 私は、社会生活の時間的速度の速まりによって、例えば、日本では、東京から大阪へ仕事に行くのに、以前は 泊りがけでなくては出来なかったのに、今では日帰りで充分出来ます。
 日本からヨーロッパの都市に行くにも、何十日もかけずに今では行けます。
 
 その、世界的・社会的・時代的時間の流れの速さは、当然音楽表現にも現われてきて当然です。

 暗譜と言うことが、音楽家を苦しめてきた一つにあげられるかも知れません。
 同時に、赤旗紙上で言うように、譜面に忠実な演奏が、ショパンを例に出しても、何故本当に大事なのかは、この記事では伝わりません。疑問です。

 譜面に忠実な演奏の大切さの中身が何も無いのです。
 何故ならば、譜面に、その作曲者の表現したい音楽の中身が、何処まで完璧に表されているのかの、その検証が何も無く、ただ、このピアニスト氏の意見を、何となく対談にしているからです。

 音楽を作るときに、当然、作曲者は時々に記録を留めます。
 完成した時点でも、記録を留め、演奏者に当然伝えるでしょう。

 それが、譜面です。
 それが、譜面の価値の全てです。

 その音楽の、全体の姿・形を表記しただけものでしかありません。

 それを、ただ暗記しても大した意味はあり得ませんし、たとえ暗記しなくても大した意味はあり得ません。

 志位さんが、昔ピアノを位習っていた時のことで、印象に残っている言葉が在ります。

「カチャ・カチャと、カメラのように、譜面を記憶した」と言う言葉です。

 この方法、間違っていると私は思います。
 覚えてしまうほど、練習する事が大切なのです。志位さんが教えを受けたピアノの先生は、ちょっと、本質を教えなかったのかも・・・知れません。 

 

 

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2010年1月 4日 (月)

新年おめでとうございます。私の、今年の挑戦課題・・・

 何だかよくは解りませんが、新年を迎えると何故だか気持ちがあらたまります。

 それは、今まで出来なかったことも「今年こそ」出来そうに想えるからでしょうか・・・
 或いは願望を、もう一度持ち直すことが出来る良い節目の時だからでしょうか・・・

 私にとっての節目は一年の間に幾つかあります・・・
 
 最大の節目は私自身の誕生日9月17日です。
 
 その次は、何でしょう・・・思えば、結婚した日・・・もそのはずです。
 こどもが生まれた日も・・・自分の家を持った時・・・「浮気」がばれた日も・・・憧れていた自動車を買った日・・・

 私想うのです。

 私は元来記憶が苦手で、最初から記憶機能を持ち合わせていなかったのかと、時には疑うほどなのですが、そうじゃないことも自覚しています。

 例えば、すれ違った、私にとって特徴的な女性の記憶は鮮明ですし、明らかに話されたことも覚えています。

 何も私の記憶機能には異常在りません・・・

 でも、私の記憶がいい加減なこと、一年以上の「記録的」記憶は甚だ困難なこと・・・特殊な例を除けばですが。

 私の人生にとって「一年の計」も大切ですが、もっと大切なことは、他に在るのではないか、と私は最近想います。

 結構、一年の計って、立てていることが小さく在りませんか?
 とても小さいことが多いと私は想うのです。

 現実に私が立てた「一年の計」挑戦課題は、お酒は休肝日を必ず作る、疲れた時は飲まない。
 たった、これだけ・・・

 なんと寂しい、わびしい、ちいちゃなことでしょう!

 少年よ大志を抱け・・ではありませんが、「一年の計」たてるときに、大きな願いを持って毎年挑戦しませんか? 

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2009年12月 7日 (月)

各家が玄関先に張り出した「訪問販売お断り」シールは法的に無効で、何故『管理組合』なる者の「ビラ・チラシ投函お断り」が表現の自由にも優り有罪に成るのでしょう。不思議に思われませんか?

 世の中って言うものはおかしい事がいっぱいあるものですが、民主党政権下の消費者庁が全国に打ち出した「訪問販売お断り・お帰り下さい!」シールは法的に何の役にも立たないと云う見解も、新たに加わった世の中のおかしなことです。

 このシールは各戸の玄関先に、その家の人が貼るシールです。
 訪問販売を断っていることは明らかですが、消費者庁は「誰に何を断っているのか曖昧で、業者の訪問を拒む意思表示にはならない」と云うのです。

 「誰に」「何」を断っているのか「曖昧」ですって?

 日本語を知らないのでしょうか・・・
 「誰」は訪問販売に訪れた人です。
 「何」は各戸の玄関先まで来て販売しようとする行為です。明らかです・・・曖昧では在りません!

 訪問販売による被害は増加の一途を辿っています。
 直接玄関先で業者といきなり対面してしまうので戸惑いや迷い、事情を理解しにくい高齢者などに被害が拡がっているのです。

 私ももし、年取った親だけで住まいを別にしていたとすれば、玄関先に「お断り」シールを貼るようにするでしょう。

 今回の消費者庁の判断は招くであろう結果から考えれば、誰の利益を守るのか火を見るよりも明らかです。

 訪問販売業者です。完璧に明らかです!
 だって消費者が守られる理由が何も在りませんから・・・

 自ら訪問販売で物を購入したい人はシールを貼りません!自由が在ります。

 マンションの『管理組合』の貼り紙とは根本的に質が違います!

 マンションに住んでいたなら、ビラやチラシは結構情報源として便利ですし、嫌な見たくもないものは捨てます。
 それで良いではありませんか。

 私がそう言うと「いや、管理人は大変なんだ!」と云う人もたまにはいますね・・・
 でも、それもお仕事でしょ、と私は思うのです。大変でなく仕事なんか誰もしていませんよ・・・

 もっと大変なのはその仕事が無く、生活が維持できなくなって「死のうかな・・」なんて状況に追い込まれている人たちです!

 そんな中に、もしかしたら命を救うチラシが存在し、現に命を救われ今現在を生きている人々が少なくないのです。そんな事実を多くの皆さんご存知ですか?

 世の中おかしい事いっぱいの現実を、もっと『豊かな現実』にしたのがあの最高裁の「ビラ配り」有罪判決です。

 これからは、皆さんの「思い思いの勝手な『期待』」を担って誕生した民主党内閣が、世の中おかしい事をまるでばら撒くようにいっぱい作ると思います。
 
 是非、選んだ方たちも得とご注目なさいますように・・・願ってやみません。

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2009年12月 5日 (土)

鳩山内閣の事業仕分けで無駄とされた「伝統文化こども教室」予算。仕分けが根本的に間違っています!

 多くの国民が「期待」している民主党政権、本当にこれでいいのか私は告発したい。

 歳出削減の為という事業仕分け。
 何のための歳出削減かと問えば当然「予算に限りがあるから」と答えるでしょう。

 では、削減だけでなく、歳入の面でも検討しなければ変です。

 その検討は何も行なわれていません。!(四年後の消費税増税に全てをかけようとしています)
 普通の考えでみれば、歳出・歳入同時に「予算が足りない」なら検討するべきです。

 直ぐに「利益」に結びつくこと以外は無駄では、今までの自公政権とどこが違うのでしょう。
 スーパーコンピューター予算も削減。理由は「何故世界一早いコンピューターが必要なのか判らない」。

 判らないのなら専門家にきかなければそれこそ必要性も判らない!

 私が七年間続けている『伝統文化こども教室』は、日本の伝統文化を守り・発展させていくという役割だけでなく、世界の中でこれから生きていく日本の将来を担うこどもたちが「あなたはどこの国から来たのか?」と問われた時に自信をもって答えられる、自分の原点を持った人間を育てると言う国際社会では当たり前の、人間教育で大切なことなのです。

 世界の中で生きる日本人が持たなければならない最低限の素養は、自分の生まれた国の文化を知りそして、他の国々の人たちも素晴らしい文化を持っていることを共に共有できる事です。

 銭(ぜに)・金(かね)だけで「グローバルに活動しよう」なんて世界はずっと昔から在り得なかったのです。

 まず世界で問われるのは・・・あなたは一体どこから来たのか?・・・

 伝統文化をこども達が体験し・触れても確かに今すぐ世の中、何の影響も在りません。

 だから「無駄」なのでしょうか・・・

 

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2009年7月11日 (土)

明日は歴史的に重要な都議会議員選挙投票日です。私は今日群馬県民会館で「長唄コンサート・県民会館」の第十回記念演奏会を開催しました、大好評でした・・・

 明日の都議会議員選挙の結果はこれから先の日本の政治を大きく左右するでしょう。
 マスメディアは最後まで基本的に「二大政党対決」「与野党逆転なるか」という架空の偽りの構図を描き出し都民と国民の本当に少しでも幸せな生活を心からを願うささやかで必死な心を混乱させその意思決定を妨害してきました。そのマスメディアの罪は奥深いです。

 私は明日の選挙結果に注目しています。この偽りの「対決」構図の中でどれ程日本共産党の議席が伸びるか、はたまた減るのか、現状を維持できるのか・・・

 まるで他人事のように見受けられるかも知れませんが、私達日本共産党員は冷静に、同時に情熱的に選挙を捉え闘い結果を見守っています。

 歴史的選挙戦で在っても自らの立ち位置、私の芸人としての立場を投げ捨てないのが一番大切なことだと思っています。

 今日私は一年に二回開催する群馬県民会館との共催事業の第十回記念演奏会をしてきました。
 ヤサヱモン座三味線こども教室で、初めて三味線に触れたこども達が五年の年月を経て、それも全員が五年では在りません、一年半ぐらいの人も含めて初めてこども達だけで長唄の古典曲「小鍛冶」の三味線を全曲弾いたのです。これには囃子という太鼓や、鼓、笛などもきちんと入って、唄は教えていないので専門家がしましたが、見事に掛け声もかけて演奏してくれたのです。最年長の人16歳から最年少の10歳のこども達がです。私は習い始めたのが18歳ですからこのこ達は、今でさえ私を追い抜いています。

 毎回アンケートをお客様にお願いするのですが、9割り以上の方がお応え下さり、そのお応えの殆どの方がお喜び下さり、日本音楽を初めて聴いた方からもとても楽しかったとのお返事を頂いております。

 今日の第十回「長唄コンサート県民会館」が成功裡に開催できたように明日の都議会選挙も明るい結果を得たいと心から思っています・・・・

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2009年6月26日 (金)

わたしの作曲意欲を掻き立てた藤沢周平氏の作品「明け烏」という短編作品。

 久しく作曲をしていないわたしが、これは曲にしたいと思った内容の作品に巡り合いました。
作品は藤沢周平氏の短編小説「明け烏」です。
 江戸時代の中期を越えた江戸吉原を舞台にした花魁(おいらん)とその馴染み客の話なのですが、何とも切なく現代の大人も感じている人間の誠意とはをどのような物なのかを感じ取れなくなっている自分を改めて見つめさせてくれる作品でした。

 こんな雰囲気の、内容の曲を作りたいとつくづく思います。わたしのこれまでの作品を超える作品のイメージを今日感じています。作品化に一・二年は掛かりますが、お楽しみにお待ち下さい。必ずわたしのホームページ『創作の箱』に今まで同様全曲無料で聴いて頂けるように掲載しますから・・・

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2009年6月 9日 (火)

そして・・今日はへとへと・・・・

 いい演奏が出来て、喜んでいたら今日はへとへとです。
新しい記事も立ち上げたのですが、それがココログの問題で不発・・・更にガックリ・・・

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