2010年8月 9日 (月)

一年に2回開催して6年め、『長唄コンサート県民会館』が文化庁の「優れた劇場・音楽堂からの創造発信事業」と初めて認定されて、第12回目を9月23日に迎えます。

 私は「金食い虫」みたいな事業しかしていないのです。

 ヤサヱモン座こども三味線教室もその一つです。

 長唄コンサート県民会館もまたその一つです。

 ですからヤサヱモンさんは「本当は金持ちなんだ」なんて周りの方で思われている方、多いと思います。

 芸人はそう在らねば・・・・
 夢を差し上げるのが私の仕事。
 人様から「どうして、あんな事していられるの?」と思われるほど、浮世離れしていなければ気がすまない私であり、『虚勢』を張ったまま死んで生きたいと思っている私です。

 お稽古に来てくださるお弟子さんたちにも、コンサートにおいで下さる方々にも、こども教室につどうこども達にも、その親御さんたちにも、一種、私が不思議な人間であることが大事なのです。

 こども達に夢を、お客様に夢を、お弟子さんたちに夢を差し上げる芸人は、毎日接する現実的な人間ではいけないのです。妖しげな、そして不思議なべールに覆われていて調度良いのです。

 何でも十年間は続けないといけないと思って始めた事業が、こども教室の場合は八年目、コンサートの場合は丸六年経ったのです。

 八年目を迎えたこども教室は、事業仕分けにによって『文化庁』のお墨付きが無くなっても、近在の小中学校で受け付けて下さるようになり、今年は十名もの新しいこどもを迎えることが出来ました。

 嬉しいですね!嬉しいですね・・・・

 好奇心と興味にひかれた新しいこども達に、いかに楽しく、いかに三味線を弾けるようにしてあげるか、それは、私の心意気にかかっています。

 コンサートが今年の文化庁の事業の一つに選ばれたのも、やっと六年目を迎え、しかも、その内容がお客様の期待に応える内容だったからだと自負しています。

 日本音楽の演奏会といえば、その芸を習っている方々がお客様の殆どでした。
 それは過去形ではなく、今も東京などで行なわれている演奏会の殆どがそうだと言って過言では在りません。

 私は、それを打ち破りたかったのです。
 何も日本音楽を習っていない方々が「長唄って良い雰囲気ですね」と思って下さり「楽しいですね」とお感じ頂ける事をそれこそ夢見て始めたのです。

 会を重ねる度に、お客様が増えていき、会員になってくださる方も多く成っています。
 毎回アンケートをお願いするのですが、その回収率の高さは八割を超ています。

 この世知辛い、暮らしにくい、こどもも含め生きにくい世の中で、会場に来てくださった方には、せめても一時の心休まる時を差し上げたい・・・・

 もっと、こんなコンサートがもうじきある事を、もっと、もっと多くに方にお知らせしなければ・・・・

 更に私が、名曲勧進帳の立三味線を弾きますからね・・・

 

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2006年8月15日 (火)

戦後61年と音楽

 日本の戦後の文化、芸術。音楽もその一つです。どれでもみんな人間が創るものです。これが共通項でかこわれ、今の全ての人間を取り巻く環境が在るのだと思います。文化と云う範囲は非常に広く、人間の思想をも含みます。私は長唄の三味線を専門にしていますが、私のしている事が音楽だから、文化人だ芸術家だとは云えないのです。誰でもが普段している事が文化であり、芸術の根元だと思います。
 戦後61年を迎えました。それ以前の世界にしたいと思う地位の在る人が少し増えてきたなと思う今日です。
 戦前、戦前というか、戦争中。私達の先輩はどんな生活をしていたか。簡単に云うと、歌舞音曲は駄目な時代でした。国じゅうが戦争している時に、「三味線なんて何を考えているのだ」と云うような環境でした。私の師匠も兵隊にとられ、徴兵の対象では無かった先輩達は、戦争賛歌を創らされていました。もっとも、先輩達を批判するのは簡単ですが、まあはっきり云ってしまえば、余り深い考えなどしなかった方々なのです。今も同じよう状況ですが、政治なんて関係ない、そんな人の集まりみたいなもんですから。政治のことを考えるなら、一曲でも早く覚えろ、みたいな世界ですから。でも、私はそんな訳にはいかなかったのです。終戦後1948年生まれですが、何しろ家が貧乏だったのです。嫌でも何故貧乏なんだろうと考えてしまいます。それは、貴方の運命よ、何て考えられません。結局政治に行き着いてしまいました。社会を変えたい人に育ったのです。何故政治家に成らなかったのかと云えば、三味線が大好きだったからです。でも、平和が一番ですね。平和な時代だったからこそ、三味線も弾けたんです。アフガニスタンやイラクや、レバノンもそうですね。もっと貧困な国のこども達は本当に可愛そうです。
 いつ爆弾が破裂するか心配で、音楽どころの騒ぎじゃないです。一日生き延びるのが精一杯のこども達。私達は、もっとひろいこころを持って、戦後61年間の ありがたさを考えましょう。決して人びとから貰った平和では無いと思います。

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2006年8月12日 (土)

ヤサエモン座こども教室三回目

 今日は第四期ヤサエモン座の三回目の教室でした。調度前橋ではお盆に当たる為、欠席者が多かったので、前回までの復習をしました。初めての方の為に少しお話しいたします。このヤサエモン座というのは、文化庁の委嘱事業で、伝統文化こども教室という公的な支援を受けた教室です。小学三先生から中学三年生までを対象にした事業で、こども達に無料で長唄三味線をお稽古します。七月からの第ニと第四の土曜日、午後一時から三時までの二時間、来年の三月まで九ヶ月にわたってお稽古をします。お陰様で今回で四期目を迎え、五十人程のこども達が集まります。
 こどもは凄いですよ。まだ三回しか三味線を持った事が無いのに、荒城の月が弾ける様になり、長唄の名曲
勧進帖の合方(三味線だけで唄の無い部分)に今日入りました。第一期から参加しているこども達も多く、皆すごく楽しそうに通ってきてくれます。オヤツの時間も十五分程とっているのですが、こどもによってはその時間も惜しそうに三味線をさわっているこもいます。まず、自分は落ちこぼれだという意識を感じさせないことが大切な事だと思っています。その為には、そのこの段階に合わせて、細かい気配りと配慮が必要です。誰でも最終的には弾けるようにして上げます。そこが楽しさの秘訣だと思います。
 今の学校教育は、幾ら少子化に成っても、少人数学級はしません。文科省の方針と言うか自公政府の方針でしょう。小泉さんの方針でしょう。教師の人数を、こどもの人数が減った以上に削減します。こんなことでは良い教育は出来るはずが在りません。一人一人向き合った教育なんか出来るはずは無いです。私は落ちこぼれでした。
 私はいわゆる団塊の世代で、五十人以上のクラスでした。今になっても記憶から抜けない嫌な思いと悲しいおもいも、在ります。私は段々嫌悪を持ち出しました。でも結果的には、私は世の中を改革しようという立場に立ちました。そこいら変のいきさつも少しずつお話しします。
 ヤサエモン座のこども達には絶対素敵な記憶を残してあげたいと思っています。

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2006年7月 8日 (土)

第四期ヤサエモン座の開校

 今日から第四期目のこども教室の始まりです。新しいこどもも迎えて、新たな気持ちで無事始まりました。
お弟子さん達も一生懸命手伝って下さいました。前回の終了から、約三ヶ月程しか経っていないのに、また来てくれたこども達を見ると、随分大きく成っていてびっくりします。段々大人になってゆくのですね。これからの九ヶ月、
みんなで最後 まで行かせてあげたいと、心より願って始まった今日でした。初めて参加してくれたこどもも、荒城の月を少しですが弾けるようになりました。嬉しいです。
 このこ達を守ってあげられるのは、大人です。こども達に一生に残る良い思いでと、希望を渡してあげたいと思っております。

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2006年7月 6日 (木)

何故博ち打がNHK主人公か

 清水の次郎長が何故今大河ドラマの主人公か?
高利の借金とりで、おまけにヤクザで、私達に何を見せようと云うのか。何を解からせようと考えているのか。
こども達に見習えと云うのか。他の、まともな人間はいないのか。NHKは公共放送です。暴力がいつも振るわれている場面をそれらしく表現して、何か情けのある人、男らしい人、そんな事がいまのこども達に何故必要なのだ。文科省がサッカーくじを売る時代、昔なら胴元になっている時代にふさわしいと云えばふさわしい。明治の新政府が出来てもヤクザがいっぱしに暮しているのも、今、現在に成ってもヤクザがそこいらじゅうにいるのも、元は次郎長に始まる。明治の新政権が選んだ警察の始まりは次郎長に始まる。江戸時代の古い渡世人が皆落ちぶれて行く時に、生き残ったずるい渡世人、新政権に媚を売った渡世人。それを利用した当時の権力者達。
 今の時代に次郎長とは、恐れいります。国民の間に在るNHK不信も、次郎長の力で何とか成ると思っているのですか?

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黒澤明監督誕生の実際

 世界の黒沢と云われた名監督の第一作は1943年の「姿三四郎」でした。
「なんだこれは。アメリカ映画みたいじゃないか。日本がアメリカと戦争しているときに」こう罵倒したのは内閣情報局の審査官たち。当時は映画法という法律があって、技能審査がありました。監督として登録される為には第一回作の技能審査を通過しなければならなっかったのです。この映画法の元締めが内閣情報局だったのです。
 映画法の第一条「本法は国民文化の進展に資する為、映画の質的向上を促し、映画事業の健全たる発達を図ることを目的とする」。何の変哲もないごく当たり前の文章です。現在の国民保護法みたいです。こんなソフトな感じで始まる法律が、先の内閣情報局の審査官の言葉になるのです。続く第二条に、隠されていた牙がむき出しになります。「映画の製作又は映画の配給の業を為さんとする者は、命令の定むる所に依り主務大臣の許可を受くべし」。つまり当局の許可が必要だと云うことです。
 黒澤さんはどうなったのか。審査に同席していた映画側メンバーの1人に当時すでに巨匠の地位をしめていた小津安二郎監督がいて、すっくと立ち上がり黒澤さんのところに歩み寄り、手を差し出して「おめでとう黒澤君、100点満点で120点だよ」と。ここに世界の黒沢の出発が始まるのです。戦争で苦しむ国民に、映画の面白さを楽しんでもらえたのです。 こんな時代だったのです。一度監督として登録されても、当局の気に入らない作品を作れば、取り消しもあったのです。それだけでなく、治安維持法で逮捕された人々もいました。亀井文夫監督です。この治安維持法と似たような法案も現在準備されています。共謀罪です。
 権力を持っている者、時の政府等は、国民に怖がられない顔をして、昔から法律を作り、段々次第次第に、国民が気付いた時はにっちもさっちもいかない状態にしてしまうのです。狼と七匹の子豚のように。

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2006年7月 4日 (火)

県民コンサートのこと

 来る十一月五日(日曜日)県民会館の絶大なる後援を受けて県民会館自主事業として長唄コンサート県民会館の五回目を迎へます。耳から心へシリーズ第五弾として、一年に春と秋、県民会館の空いてる時間なのですが土曜日か日曜日の午前中に一時間半程の短い時間のコンサートを開催しています。県民会館の借用料も、大道具の借用料も、照明、事務的な費用も、チラシの作製も、、チケットの作成も、宣伝もして下さいます。コンサートの内容だけを企画するのです。私は主に解説をするのですが、初めて長唄を聴く方にも楽しく、聴きなれている方にもこんな解釈も在るのだと思えることを、自分の言葉でお話ししています。初めて邦楽を聴く方も多く大変評判の良い演奏会となっています。鼓や太鼓の音楽的解説も、三味線の解説も知っていて知らない部分も多く含み、全く新しいお客さんを引き寄せています。邦楽の会は、お稽古している人の集まる場所てきなもんが多かったのですが、純粋に鑑賞の場を創りたくて始めました。アンケートもお願いするのですが、ほとんどの方が終演後も席を立たずに回答して下さいます。初めてきいた長唄に感動の声が多数寄せられています。これは私達の物凄い励みになります。これからも聴きたいと答えて下さる方の圧倒的なこと。次回から割安な会員制を作りましたが、おおぜいの方が賛同して下さいました。もっともっと頑張って群馬の地方に先駆的演奏会を創り上げていきたいと思っています。
 でもこれにも今の政治の悪さが響いてきています。県民会館の管理運営を、官から民間企業にさせる動きが始まりました。これは県民会館だけでなく市民文化会館も、ありとあらゆる公的施設に及んでいます。美術館も博物館も図書館も、全部利益を上げることが押し付けられているのです。利益の悪いことはしない。入場者の多い少ないで展示もやめる。この全体の管理を、県民会館は県教育文化事業団が五年の限定で請負ました。市民文化会館はどうなったのでしょう。この請負はどんな会社でも可能です。ある地方では文化会館の運営をJRが受けました。何していいか解からないJRは駅弁コーナーをもうけました。これで日本の文化は発展してくと思いますか。
 私達の県民コンサートも、利益第一に考えられたら真っ先に止められるでしょう。文化事業団の方は、五年間は頑張りたいといって下さいます。でもこの五年間が非効率だと判断されれば、其の先の保障はないのです、未来の見えない日本。皆さん怒りましょうよ。

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2006年6月30日 (金)

私の最後の舞台変更版

 手の具合が悪くて何年間も死ぬ事だけを考えてきました。およそ七年くらいだと思います。でも実際に自殺することは結局出来なかったし、今まで生きてきて良かったなとつくづく思います。つらい思いも妻には、散々掛けたと思います。お酒を飲むと、少しは楽になるのですが、多くの場合最後は荒れてしまいました。外に出ていなくなっちゃたり、覚えているだけでもたくさんの心配を掛けてしまいました。御稽古場に顔を出していても、暗い顔しか出来ない自分に、嫌になっていました。何十年もその道一筋にしてきた者が、弾けなくなる、それも原因も解からず。 でも死にたい方に言いたい。死ねば楽に成るのは自分だけで、中々いい死に方も見つからないものです。周りの人に気持ち悪い思いはして欲しくないでしょ。車の中で死ねば、その車は気持ちよくなくなるし、電車に飛び込めば賠償金が請求されるし、駐車場で死ねば、持ち主に迷惑掛けてしまうし、その他も色々考えましたけれど、良い方法は中々無いですね。睡眠薬も勿論考えました。でも、あれは、へたするとただ寝たっきりになってしまうのです。フランク永井がそうでした。
 医学の進歩のお陰で私は助かりました。三味線もようやく思うように弾けるようになりだしました。今年の四月に国立劇場で、私の会で舞台復帰感謝演奏を無事終えました。まだ終えたばかりなのですが、私が主になる舞台の最後の曲を決めました。いつかする曲です。私は幸せ者でいっぱい舞台を経験させて貰いました。それが今の私の芸を創りました。これからは自分が其の年のときに何をしていたかを考え、後進に勉強して貰う機会を増やしていこうと思っています。私もこれからも舞台に立ちます。でも 後進の人達を育てて行くことを重点にしようと考えています。私の最後の舞台の曲名は「安宅勧進帖」。この曲は私の師匠も持ち曲っでした。何時の日か脇三味線は妻で、立唄は息子、三美郎。このメンバーと御弟子さん達の力を借りてで演奏することを決めています。 世界は動いています。大きく変動しています。日本の今の動きは逆流であって、けっして本流には成り得ません。歴史の大道は抗えるものではないなのです。 

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2006年6月26日 (月)

ヤサエモン座のこども達

文化庁の委嘱事業で、伝統文化こども教室という事業があります。私が代表で今年で四年目を迎えます。
教室の名前は長唄ヤサエモン座。毎年今頃には応募者も決まり、七月から来年の三月まで隔週の土曜日午後、二時間のお稽古をしています。対象は小学三年生から中学三年生までで無料で教えます。。定員は三十名と決めてるのですが、最初から外れたこどもがいては可愛そうなので、結局全員迎えています。そうですね五十人位でしょうか。一期生がまだいます。二期生、三期生も応募してくれます。中には私の弟子になるこもたくさんいて、三味線って結構人気在るじゃない、なんて喜びを貰っているんです。勿論私1人の力で出来ることではありません。私は代表というだけで、妻、多くのお弟子さんたちの努力の賜物です。この教室の特徴は、保護者の協力さえ在れば、誰でも来られる、落ちこぼれは作らない、皆で最後まで楽しく弾けるようになる。この一語、いやこの三語で言い表せます。こども達は本当に楽しそうに通ってきてくれるんです。文化庁じゃ認めてくれないのですが、オヤツのお金は駄目なんです。ヤサエモン座は太っ腹です。オヤツも楽しいじゃないかと思って二十分とりました。でもですね、このオヤツの時間が大事だったのは最初の頃だけだったのです。最初のうちは「オヤツはまだ」何て云ってたのが、お菓子だけ貰ってくると「ドラエモン、あげる」、このドラエモンはヤサエモンのパクリですけど、そんなこと云って練習を始めるんです。ちょと休ませてよ、なんてこちらに関係なく三味線を弾きだすのです。やっぱり面倒みちゃいますよね。「そこはね」なんて云っちゃて。
それぞれのこども達は、それぞれに問題も在るかもしれない。親からすれば心配なことの多いことと思います。でも、学校教育が本当にこどもの発達と発育を目指していてくれているならば、こどもは真っ直ぐに育つと思えて成らない。こどもを捻じ曲げて教育しようなんて先生は本来いない。こどもに劣等感を植え付けようなんて先生もいない。優越感の権化みたいなこを育てたい先生もいない。戦争に行きたがるこどもも育てたくない。だから先生が処分されてしまう。私はヤサエモン座のような教育が、全ての教科の教育であるならば、少人数学級が実現して1人一人のこどもに目が向けられていると、こども達が実感できれば日本は少子化などならない。
ですがね、日本の教育を根本から変えようとしている人達がいることは事実です。私や妻やお弟子さん、ヤサエモン座の親御さんたちも、そんな世の中を出現させてはいけない。

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2006年3月25日 (土)

ヤサエモン座終了演奏会。

今日、第三期ヤサエモン座終了演奏会を終わりました。
子ども達がのびのびと演奏できて、格好良かったです。
演奏会には第一期生から第三期生までの子ども達が出演しました。
第三期生の子ども達は今回始めての演奏会でしたが、
とても堂々と、そして凛々しい姿で演奏することが出来ました。
時間を重ねるごとに上達する子ども達の姿を見るのは感慨深いものがあり、
またその成果を舞台の上で一生懸命発表するのを見ると、
子ども達の限りない可能性を感じ取ることが出来ました。

演奏会の終わりに子ども達から感謝状と花束、そしてお礼の言葉を貰い
今日という日を迎えることが出来、本当に良かったと思いました。

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